せっかくですので記事の方に登場してもらって応対させて頂きます。
一読者さん、まずはコメント感謝します。
いつも興味深く拝見させていただいている一読者です。カトリック神学を学んだことのある聖公会信徒です。そうですか、聖公会信徒でカトリック神学を学ばれたのですか。当方牧会している教会の背景はメソジスト・ホーリネスですので、一応聖公会司祭であったジョン・ウェスレーに歴史的には遡ります。
この項目に関しては疑問があります。実情を反映していないというか。確かにカトリックや正教会の信徒数は減少していますが、それは神学的問題とか信仰生活 の形態の問題ではなく、社会学的要因の方が大きいのでは?減少率というのを考えた場合、他教派と比較してより低いというものではないかと思います。恐らく日本のカトリックを含めた教会の情勢が念頭にあるのではないでしょうか。マクナイト教授が念頭にしているのはヨーロッパですので、人口動態や社会学的要因もあるでしょうが、
I asked one of my Roman Catholic students if he knew of any young adult who was denied "membership." His response was immediate: "Never." Making the conversion process automatic...is disastrous for the vitality of faith and church life.と言っている部分にあるように「回心」のプロセスがほぼ自動的に「教会員になる」プロセスに取って代わっている、と言う指摘なのです。
日本の状況とは少し違いますよね。日本ではクリスチャンはマイノリティーなこともあり、カトリックの信者になるにも福音主義的回心とは違うとは言え、かなり自覚的な信仰を持たないと信者にはならないと思います。
もちろんこれは「一世のクリスチャン」に当てはまることで、カトリックにしろプロテスタントにしろ、クリスチャンホームでしっかり育てられた子供たちは「回心」と言う危機的体験はなかなか獲得し難い面があるのですが。
クリスチャンとしての成長という意味では、修道院があるし、黙想会の類とか、アフターケアもないわけじゃないし。もちろんそれらと合わせ、第二バチカン公会議以降のカトリック教会は「聖書」を信徒教育、霊性形成の重要な柱にしていると思います。この点でプロテスタントの聖書信仰と少し近似性があると思います。
プロテスタントの場合、個人的救いを強調しすぎる。それはある人々にとってはきついものです。途中でプロテスタント教会に来なくなった人で、カトリックや正教会への転籍者というのは実は多いのではないでしょうか?回心を強調するのは特に19世紀北米や英国のリヴァイヴァリズム(信仰覚醒運動)に顕著で、20世紀に入ってはムーディーや1950年代以降のビリー・グラハムのクルセード集会が代表的です。
残念ながら、この回心強調のメッセージは決心を促すために心理的プレッシャーをかけるような手法や扇情的なアッピールになってしまったりすることがしばしばありました。今もその傾向は大いに残っていると思います。
プロテスタント主流派教会よりも、福音主義教会の中からカトリックや正教会に移るケースは欧米でも結構見られます。しかし脱キリスト教化、世俗化が進んでいるヨーロッパではカトリック教会を退会する数の方が圧倒的に多いと思われます。この記事などご一読ください。
まぁ、このブログの意図するところとは違うかもしれませんが、そもそもカトリックの年間最終主日は「王であるキリスト」の主日だったりしますし、そういう信心はありますから・・・。むしろ、こういうの、カトリック主義だって批判されたりしません!?(苦笑良 いご指摘ありがとうございます。まさに「王であるキリスト」の「キリスト」を「メシヤ」と語源的に遡り、(旧約)聖書ストーリー全体が「王なるメシヤ」と してヤハウェの御心を成就した方、ナザレのイエスを福音書は活写するのだ、と言うのがマクナイト教授の言わんとしていることです。
ですからプロテスタントとかカトリックの違いではなく、原始キリスト教、使徒的福音に立ち戻らなければならない、とマクナイト教授は主張するわけですね。
以上、いくらかでも疑問の回答になったら幸いです。
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タカ牧師より
Originally Posted at2012 Mar 21 by タカ牧師
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