あっという間に5月が行ってしまいました。
今日はもう6月も3日です。
このブログをブックマークしていた方には、ご心配おかけしたかもしれませんね。
ところで改めて言うのも何ですが、この「キング・ジーザス・ゴスペル」と言う本は二つの意味で凄い本です。
第一に「福音」とは何かを真正面から取り上げています。
今既にヨーロッパは脱・キリスト教の時代に入っています。また西洋ヨーロッパ・キリスト教文明圏では例外と見られてきた北米も長いスパンで見ると明らかにキリスト教は退潮してきています。
そのような時代の曲がり角を意識してか、ここ数百年自明と思われてきた「福音」を真正面から取り上げる意義は大きいと言わざるを得ません。
今後キリスト教が西洋においてどのような道を歩むかは分かりませんが、キリスト教が依って立つべき「福音」を根源的に問うことは、迎えている新しい状況に対峙するためには必要欠くべからざる作業だと思います。
第二に「福音とは何か」と言うことを根源から問い直す難しい問題を、一般読者に向けて問いかけていることです。
私見ではこの問題は神学者、聖書学者たちの間でもまだまだ十分に議論されているとは言えない状況で、このような本を出すということはかなり挑戦的です。冒険と言ってよいでしょう。
恐らくこのブログを読んでもらっている読者の方にその意義を十分伝えられていないと思います。この本の価値を深く知ってもらうためには買っていただいてじっくり読んでもらうことが必要だと思います。
何分英語の本なので「そこまではちょっと」と言う方には大分薄まったスープの味のような当ブログの記事で満足してもらうしかありませんが、期待しててください、多分邦訳されると思います。
日本では「キリスト教書は売れない」と言うことなので良書であっても邦訳されないものはいくらでもあります。しかしこの本は何とか翻訳されて皆さんの手元にお届けできるような日が来ることをタカ牧師は願っています。(本当は問題はそこから後なのですがね・・・。)
さて大分前置きが長くなってしまいました。
今回は第7章になります。
「イエスと福音」という章のタイトルだけではピンと来ないと思います。この章が扱っているのはズバリ「イエスは福音を宣べ伝えたか?」というものです。
えっそんな当たり前でしょ。
いやいやそうでもありません。
マクナイト教授がここまで解説してきたように、福音とは「イエスがイスラエルのストーリーを完結する」と言う意味での福音だとすると、「イエスが福音を宣べ伝える」とはイエスは自分自身をそのような者として語ったか、と言う問題になります。
私たちがよく聞く福音のメッセージである「罪から救われる方法としてのイエス・キリストの贖い」ではなく、「イエスご自身が福音そのものである」と言うメッセージをイエスは、ちょっと言葉は悪いですが、「自己宣伝したか」と言う問題です。
マクナイト教授ご自身の表現では、
Did Jesus preach himself as the completion of Israel's Story in such a way that he was the saving story himself?
ということです。
福音書を読むとイエスの福音宣教のテーマは「神の国」であることは明らかだ、と言うことでマクナイト教授は「神の国」のテーマからこの問題にアプローチします。
最初に取り上げられるのは次の3つの聖書箇所です。
①「マリヤの賛歌」(ルカ1:46-55)
②「ゼカリヤの賛歌」(ルカ1:67-79)
③マルコ福音書冒頭の洗礼者ヨハネの宣教(マルコ3:1-18)
これら3つの箇所はどれも神が預言者を通して語られた平和と正義が住まう神の国がイエスにおいて実現する(した)ことを予告しています。
以後福音書が語る神の国は「イエスにおいて」
・歴史の中に到来し(マルコ1:15)、
・実際にその力を現し(マタイ12:28)、
・その国民の新しい「市民性」を宣言し(ルカ6:20-26)、
・その国がイスラエルの神、父なる神のものであることを明らかにし(マタイ6:9-10)、
・この神の国の中心をイエスご自身が占めることを宣言する(ルカ4:16-30)。
さて最初の質問に戻ります。「イエスは福音を宣べ伝えたか?」
マクナイト教授は自信を持って答えています。
Yes, he preached the gospel because Jesus preached himself.では次回は章の後半のところを紹介します。今度は何時かな・・・。
Originally Posted on 2012 Jun 03 by タカ牧師
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