2013年6月25日火曜日

使徒たちは福音をどう説いたのか?①

こんにちは、またもやお久し振りです、タカ牧師です。

更新が出来ないでいることを気にしていたのですが、ここまで遅れてしまいました。

でも原著、英語版は本文160ページ。今回紹介する第8章『ペテロの福音』は113ページからですから後半なかばに差し掛かっています。大分進みましたね。

前(7)章ではイエスは「福音」を宣べ伝えたのか、つまり「イエスのストーリーがイスラエルのストーリーを完結する」ことを自ら示唆したのかどうかを福音書資料に当たりながら見たわけです。

8章では今度は使徒たちが同じように「福音」を語ったのかどうか、「使徒行伝」に収録されている説教を見て行きます。

使徒たちの説教と言っても使徒行伝には(ステパノのスピーチを除けば)ペテロとパウロの説教が収録されています。
但し章のタイトルにあるように、マクナイトが注目するのはペテロの説教の方ですが。

マクナイトは使徒行伝には使徒たちが「福音」の要約を語ったスピーチが7つ残っていると言います。
①2:14-39
②3:12-26
③4:8-12
④10:34-43と11:4-18
⑤13:16-41
⑥14:15-17
⑦17:22-31

マクナイトはこれらの「福音」説教の要約は「イスラエルのストーリー」を枠組みにしていると、と指摘します。
枠組みとなっているのは、「救いの計画」でもなければ、「贖罪論」でもない、と言うことです。

マクナイトはこの「イスラエルのストーリー」の枠組みは、既に彼が指摘したオリジナルな福音、プロトタイプとも言えるⅠコリント15章が言っているように「聖書の示す通りに」を物語るものだ、と言うのです。

言ってみればⅠコリント15章が「福音」の簡潔な提示、譬えれば『骨』とすれば、使徒行伝に収録されているペテロやパウロの「福音」説教(スピーチ全部ではなく、その要約されたもの)はその『骨』に『肉』や『脂肪』を付けたようなものだと言うのです。

確かにⅠコリント15章3-28節に見られる「福音」のすべての要素を網羅した説教はないかもしれませんが、挙げられたペテロの説教四つ(①~④)を合わせてみるとちゃんと「イエスのストーリー」のすべてのポイントが含まれている、と指摘しています。

復習のためにすべてのポイントとは何かと言うと、
①イエスの生涯
②イエスの死
③イエスの復活
④イエスの昇天・着座
⑤聖霊の賜物
⑥イエスの再臨
⑦歴史の完成において「神がすべてのすべて」となられること

さて、使徒たちは「福音」説教でどのような「イエス像」を提示しているのでしょう。
マクナイト教授は新約学者、特に史的イエス研究の専門家でもあります。彼の周りの研究者たちはそれぞれ福音書資料などを取捨選択しながら自分たちのイメージした「イエス像」を再構成しています。
「社会活動家」
「預言者」
「共和党政治家」
「民主党政治家」
「マルクス主義者」
「反皇帝主義者」などなど。

マクナイトが使徒行伝の「福音」説教から見出すイエスについての最も大切な「像」は次の二点です。
①イスラエルのメシヤ
②すべてのものの主
使徒行伝2:36と10:34-38を見ると、その二点がペテロによって語られています。

ナザレのイエスを歴史的に再構成する研究は大切なものですが、使徒たちの「福音」説教が提示する「イエス像」から逸れてしまったらそれは的外れになってしまいますね。
Let this be said over and over: the apostolic gospel was framed in such a way that the story was centered on and revolved around Jesus. To gospel was (and is) to declare the royal truth about King Jesus, Jesus was (and is) the gospel.
では次回は8章の後半をご紹介します。

Originally Posted on 2012 July 08 by タカ牧師

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