2013年6月25日火曜日

使徒的福音:パウロ②

ほぼ一週間ぶりです。お待たせしました、タカ牧師です。

マクナイト教授はもともと「福音」とは、旧約聖書のストーリーがイエス・キリストのストーリーにおいて完結した、ことを指すものであり、それは「イエスはメシヤ・主・救い主」として宣言することを意味した、と主張します。

前々回、3章で図表を使って触れたように、この「福音」は私たちに救いをもたらすものですが、「わたしたちがどのように救われるか」を提示することが福音ではありません。

前回、使徒的福音の原型をマクナイト教授はパウロの手紙の中でコリント第一15章3-5節から取り出していることを紹介しました。
ここでもう一度掲げます。
キリストは死なれた
キリストは葬られた
キリストは甦られた
そして、キリストは顕れた
この最初の「キリストは死なれた」には「私たちの罪のために」と言う付加があります。
全体は
キリストは
聖書に書いてある通りに
私たちの罪のために
死なれたこと
とあります。
このうち、既に指摘されたように「聖書に書いてある通りに」と言う部分が、マクナイト教授が言う「福音」の原型である「旧約聖書のストーリー」と言うことです。

そして「私たちの罪のために」は「キリストの死の救済的意義」を指し示す部分です。

大事なことはここでも「キリストは死なれた」と言う事実に含まれる救済的意義だ、と言うことです。
パウロはこの部分を拡大して、様々な救いの説明に費やしませんでした。

しかし確かに「キリストの死」は「私たちの救い」に及ぶものです。
新約聖書は様々な表現を用いて「救い」の意味を説明します。

マクナイト教授はこの短い「私たちの罪のために」と言う表現から三つのニュアンスを汲み取っています。
①私たちと一つとなられたこと、with us
②私たちの代わりであること(代表、身代わり)、instead of us
③私たちのためになされたこと(神のいのちに入れること)、for us

新約聖書で用いられる様々な「救い」を表す表現、贖い、贖罪、身代わり、和解、義認、子とする、などは「キリストの死の救済的意義」を展開したものと言えるでしょう。

では今回はこれまで。

次回は5章に移ります。

Originally Posted on 2012 Apr 15 by タカ牧師

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