じゃ、現代の教会の多くが語っていると広く一般に理解されている「福音」とは何か?ですが、「福音」とは「わたしたちがどのように救われるか」ではないのか?というのが、マクナイト先生のご主張のようです。
つまり、マクナイト先生がおっしゃる「福音」(赤福音)すなわち、新約聖書でイエスが言っており、パウロも言っている「福音」(赤福音)とは、
『(神の国の)王としてやってきたイエスが述べたこと、やったこと』
であり、それは、何か、というと、
「神と人がともに住む神の国が(当時ナザレのイエスやパウロが語った人の前でも、そして現代人の前でも)今、ここにある」
ということだと思います。
では、
「神の国」とは何か、
ということですが、それは、あの有名なアウグスティヌス君(倫理社会の教科書や世界史の教科書にも載っている)以来議論され続けていて、結構面倒なお話もあるらしいのですが、ミーはーちゃんの理解するところは、
「神が人とともに今、この地上でも生きようとしていること」
ということでもあるし、
「あなたがたとえ、一人暮らしであっても、孤独を感じていようとも、あなたとともに生きようとする神があるし、それがあなたは見えないかもしれないけれども、あなたの目の前に神がある」
ということだろう、と思います。実は、神の国は、アウグスティヌス君の発明や発見や専売特許品ではございません。アウグスティヌス君の主張がおかしかった、とご主張のむきもございましょうが、ここでは、それをあえて触れずにおきますね。
神の国はイエス自身があっちこっちで言っています。マタイ、マルコ、ルカでは多いのですが、わりと有名な表現では、ヨハネ3章のニコデモ君ととの対話で、
「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(新共同訳 ヨハネ3章3節)
という部分があるかもしれません。
さて、パウロの手紙は、だれに対して書かれたか、というと、おそらく、もともとはシナゴーグと呼ばれるところに毎週土曜日(安息日)に行くような人々で、 シナゴーグには所属していて、旧約聖書をよく知っていたユダヤ教に改宗したギリシア語をしゃべる人々に向けても書かれたように思うのですね。
ところが、生まれがユダヤ人でないギリシア語を話す人々は、シナゴーグで、ユダヤ人でないということだけで、シナゴーグの中心部に入ることは許可されず、周辺におかれ続けていた人々だと思われます。
つまり、旧約聖書の中にどっぷり漬かっていた人たち、旧約聖書について、相当の理解を前提にできた人たちでありながら、シナゴーグでは周辺におかれる(壁の花といいましょうか、隅っこに固まっていなければならないような位置づけにおかれる)傾向にあった人々にパウロ君はまずもって語ったわけで、今の社会に住むようなキリスト者とか、クリスチャンを前提に書かれたわけではないようなんです。
特に、ヨーロッパ社会で、19世紀くらいまでは、メジャーな地位を占めていたようなキリスト者のために、社会のマジョリティ化したキリスト者に向けられ て、パウロの手紙はそもそもは書かれたものでない、ということは少し意識したほうがいいかもしれません。もちろん、社会のマジョリティであった、あるい は、マジョリティであるキリスト者や、圧倒的なマイノリティである日本のキリスト者もそれを読んで神の理解を進めることは、もちろんできます。
さて、パウロが語った時代に、パウロが語ったり、書いたりしたことで、最もインパクトを受けたのは、毎週シナゴーグに行くけれども、シナゴーグではまともに相手にされず、旧約聖書に触れてはいるものの、漠然としたことしか体験できない人たちだったと思います。
このようなシナゴーグの周辺に置かれた人たちに対して、パウロは、「あなた方が見たいと思い願っていた神の国がやってきた。」と宣言したもんだから、おそらくですが、当時のギリシア系の背景を持ち、シナゴーグの周辺に置かれていたユダヤ教徒は、
「ををを、これはすごい。そうか、わしらにも神の国が来たのか。それが福音(青福音ではない)なのだなぁ。」
とシナゴーグを離脱していき、排水溝に引き込まれる水のように、キリスト教の世界というよりは、ナザレのイエスに引き寄せられていくわけです。パウロは、シナゴーグの関係者から、この男は、「疫病のような存在で」(使徒24章)と、一時期のエイズ患者や新型インフルエンザ患者の方のような扱いを受けます。つまり、「お前なんか、くんな。シッシッ」をシナゴーグの人たちからやられてしまうのですね。
パウロが、誰に向かって語ったか、という話について、伊藤明生さんという方が、「新約聖書よもやま話」という本の中で、次のように書いておられます。
21世紀に生きる私たちにとって、キリスト教とユダヤ教は全く別の独立した宗教です。ところが、2000年前の新約聖書時代、新約聖書の舞台となったのは旧約聖書を土台とした世界でした。一言でいえば、「ユダヤ教」の世界だったのです。同書4章 初めはユダヤ教であった pp.25-26
新約聖書の福音書を読むと、イエスは週のは最後の日(つまり、土曜日)、安息日にユダヤ教の会堂に出かけて行き、「ユダヤ教」の礼拝をユダヤ教と共にささげていたことが分かります。
イエス自身もユダヤ人でしたし、当時のユダヤ教の枠内にとどまり続けていたのです。確かに新約聖書には、イエスがパリサイ人と律法学者などと旧約聖書律法 の解釈、実践について議論をしている場面もでてきます。しかしイエスは決してユダヤ教から逸脱しようとしたのではなく、当時のユダヤ教を改革しよう、ある いは旧約聖書で意図された真のユダヤ教の姿を取り戻そうとしていたのでした。
この部分だけを取り上げると、イエスがユダヤ教改革者やユダヤ教の中興の祖のような存在として見えてきてしまい、キリスト教はユダヤ教からの派生宗教に見 えてきます(世界史のテキストの記述はおそらくこうだろうと思います)が、伊藤先生がおっしゃりたいことは、実は、このユダヤ教とキリスト教が実は本来的には別物ではなく、一体のものであったはず、ということのようです。伊藤先生は次のように続けておられます。
ユダヤ会堂での奨励
同じ観点から使徒の働きに描かれているパウロらの伝道の様子を読んでみると、大変興味深い事実が見えてきます。
パウロは新しい地に着くと、安息日には会堂に出かけました。「キリスト教」の伝道者で「異邦人の使徒」であるはずのパウロが、安息日に「ユダヤ教」の会堂の礼拝に出席していたのです。
しかもただ出席しただけではありません。使徒の働き13章14節以降には、パウロとバルナバトがピシデヤのアンテオケの会堂の礼拝に出席した様子が描かれ ていますが、パウロはこの礼拝で、旧約聖書の律法と預言者から聖書朗読がなされたのち、壊れて、聖書、つまり旧約聖書に基づいて奨励のことばを語っていま す。
読み進めてみると、パウロの奨励の内容はキリスト教のメッセージであることに気づきます。イエスがよみがえられたこと、イエスこそがユダヤ 人たちが待ち望んでいたメシアであることが語られているのです。ユダヤ教とキリスト教徒が全く分離してしまった現代からすると、ありえない光景です。
同書4章 初めはユダヤ教であった pp.26-27
伊藤先生がおっしゃろうとするところの、「ユダヤ教とキリスト教が明確に分離していない時代」に語られたのが「福音」である、というのがマクナイト先生の主張ではないか、と思うのです。
後世の信者の人々が、説明をわかりやすくしようとした結果、不幸にも「福音」が少し変質ししまったものが、「福音」であり、その「福音」は結果として、「わたしたちがどのように救われるか」の問題として語られる事が少なくない状態であることに、「どうなんかなぁ」とマクナイト先生はおっしゃっておられるようです。
シナゴーグに通っていたギリシア語をしゃべるユダヤ人に語られたのが、そもそも「福音」であり、マクナイト先生は、当時のシナゴーグに通っていたギリシア語をしゃべるユダヤ人に語られ、その人たちに驚きをもって受け止められた「福音」を使徒的福音と呼んでおられるようです。その驚きが、あるいはそのディープ・インパクトが現在の教会では忘れ去られているんじゃないかなぁ、というのがマクナイト先生のご主張のようです。
「青福音」(一般に福音として語られることが多い内容)と「福音」のもともとの姿(使徒的福音・赤福音)とについて、ちょっこし、背景の解説とその理解に役立つ日本語の本をちょっこしご紹介、でした。
Originally Posted on 2012 Apr 19 by ミーちゃんはーちゃん
0 件のコメント:
コメントを投稿