2013年6月25日火曜日

イエスと福音②

 さて、またまた時間が経ってしまいました。

お約束したように今回は7章の後半を軽く紹介します。

前回引用した英文の部分をよく気を付けていてください。
イエスが宣べ伝えたのは何だったか?
イエスの神の国のメッセージは何についてだったのか?
マクナイト教授は、「それは突き詰めて言えばイエス自身についてだった」ということです。

ただ気を付けなければならないのは、「イエスは自分を宣べ伝えた」という時、それは単なる自己PRではなく、「イスラエルのストーリー」「救いのストーリー」を完結する者としてだった、ということです。

では後半の部分でマクナイト教授がこの主張を強化しようと選んだ三つの福音書エピソードを紹介します。

①イエスの道徳的教えのビジョン
イエスは「山上の垂訓」(マタイ5-7章)の中で特に、「私が来たのは律法を成就するためだ」と言っていますが、「律法にはこうあるが、私はこう言う」と言う形で教えを述べています。
ここにイエスご自身が「律法と預言者」を成就する者としての認識が見られます。

②十二弟子の選び
イエスはイスラエルの十二部族、つまりイスラエル全体を意味する12人として弟子を選ばれたことが考えられます。そしてご自分はその12人の上に「主」として立つ者としての自覚が見て取れます。

③イエスご自身の死の意味について
既にご自身の死を予告しておられたイエスは、最後の晩餐の席で「過ぎ越しの食事」をしながら、ご自身の死が聖書が示す新しい契約を決定付ける意義を持つことを示されています。

以 上三つの点と、さらにルカ24章で復活後に弟子たちに「聖書」は人の子イエスの死と復活を証言するものとして書かれていることを示されていることとを合わ せて、イエスが語っていたのは「イスラエルのストーリー」を完結する者としてのご自分であった、とマクナイト教授は結論します。

さて、福音書から色々と言及がなされましたが、簡単に言えば、「福音書に見るイエスの『ことば』と『行い』」は実はイエスご自身にフォーカスしている、と言うことです。
「イスラエルのストーリー」の焦点はイエスご自身にあった、ということです。

この章が語ってきたことは、「イエスの意味」を解く鍵は「イスラエルのストーリー」と言う枠組みでイエスに照準を合わせることだ、ということですね。

Originally Posted on 2012 Jun 14   by タカ牧師


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