せっかくのゴールデン・ウィークも雨で台無し、と思っている読者の方々、せめてネットで良い時間を過ごしてください。
えっ、もうやってるよって。
どうもすいません。
ではまた少し時間を頂戴して、スコット・マクナイト教授の話題の新刊「キング・ジーザス・ゴスペル」の宣伝も兼ねて、この本の内容を紹介させていただきます。
さて、今日はKJGの第5章、How Did Salvation Take Over the Gospel? の後半、教会史で言うと「宗教改革」から現在までのことについて。
現在の(北米を中心にした福音主義)キリスト教の「福音」が、初代教会の「福音」から大きくシフトした歴史的出来事が「宗教改革」である、と前回紹介しました。
それを簡単にまとめるとこんな感じです。
《福音の文化》→《救いの文化》ただマクナイト教授も断っていますが、宗教改革が福音を変節させた悪玉とだけ見ているのではありません。
《福音主義者》→《救済論者、ソテリアンズ》
《福音》→《救いの計画》
宗教改革は「個人」が「救い」に対して責任を持って応答するような枠組みを作ったことだと言っています。
でもそれが「個人的救い」に強調点がおかれる要因にもなったわけです。
も ちろん宗教改革者とその後継者たちは「福音・信条」の枠組みを無視したわけではありません。ただ宗教改革時に「再発見」された『信仰義認』の教理、広く言 えば『救済論』を「福音・信条」の枠組みの中に組み込もうとしたのです。しかしその再組み込みは結果的に「福音・信条」のストーリー・アウトラインを「救 い」のストーリー・アウトラインに飲み込んでしまう結果になったと言うのです。
宗教改革が作った「信仰告白」にはまだ「福音・信条」の痕跡は認めることが出来ますが、その後「救いの文化」が育つうちに削ぎ落とされて残ったのは「四つの法則」に見られるような単純化された「福音(救いの計画)」です。
God loves you;もちろんこのような「福音」の単純化に一足飛びに変化したわけではありません。
You are messed up;
Jesus died for you;
Accept him and you can go to heaven.
マクナイト教授は宗教改革後の「敬虔主義」や「リヴァイヴァリズム(信仰覚醒運動)」で「個人が明確に救われたことを証しする」習慣が教会に根付いた点を指摘しています。教会員として認められるには「自分が救われた体験」をみんなに言わなければなりませんでした。
そのことが「救いの文化」の方向を強化したと見ています。
しかしこの救いの体験主義の強調の結果、救いの中身が「sin management」のような仕組みになってしまった弊害も、この「キング・ジーザス・ゴスペル」の推薦文を書いているダラス・ウィラードを引用しながら指摘しています。
それではまた次回。
Originally Posted on 2013May 03 byタカ牧師
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