2013年11月10日日曜日

『福音』とは

お久し振りです。タカ牧師です。

長ーーい間、更新がありませんでした。
失礼しました。

今年5月に発売されてから2ヶ月くらいは「反応」が結構ありました。
その後8月くらいまではちらほら「反応」がありました。

「さすがに」、と言うか、「残念ながら」、と言うか、段々ネット上の反応は少なくなってきたようです。
それで「ネタ探し」も尽きてきたかなー・・・、と思っておりました。

ブログスフィアーでは最早更新のなくなったブログを「ゾンビー」などとおぞましい言葉を使って呼んでおります。

このブログサイトも、まだそこまでは行きませんが、気をつけないと・・・。

それで適当に足跡だけは付けておこうと思いました。

今日の御題は『福音』とは。

まっこのブログサイトは、スコット・マクナイトの「福音の再発見」ファンサイトでもありますから、適当ではないかと思います。

さて「福音とは」や「福音とは何か」でググって見ますと、案外と言うか、何と言うか、辞典系サイトの説明が割合、学術的に、歴史的に、原語的に参考になるものを結構含んでいるように思う。
元来はギリシア語euangelionで語義は〈よい知らせ〉。古典ギリシア文献では,たとえば戦勝の知らせを指して用いられる。ローマ時代には,皇帝を神的存在とみなし(皇帝礼拝),その即位等の知らせを〈よい知らせ〉と呼ぶことが行われた。旧約聖書では,この語に対応するヘブライ語名詞の用例には見るべきものがないが,同じ語根の動詞から出た〈喜びの使者〉の,とくに《イザヤ書》52章7節(前6世紀後半)での用例は,新約聖書の〈福音〉との関連で注目を要する。(「世界大百科事典 第2版の解説」

1 喜びを伝える知らせ。よい便り。「―をもたらす」
2 イエス=キリストによってもたらされた人類の救いと神の国に関する喜ばしい知らせ。また、福音書にしるされているキリストの生涯と教え。(「デジタル大辞泉の解説」・・・以上2件のリンク先

これと比較すると、キリスト教関係者(牧師や、ちょっと知っていそうな信徒の方)の説明は、マクナイトの言う「救い派」丸出しのような内容になりやすい・・・と言う印象を受けます。

マクナイトが案じたように福音を殆んど自明のこととしているために、「神・罪・救い」のメッセージが既に「雛形・下敷き」となっていて、その枠組みで説明してしまおうとする傾向がある。

マクナイトが新約聖書の福音理解のスタートラインとした、第一コリント15章や、(マクナイトは重用しなかったが)ローマ書1章2-4節、『御子の福音』が指示しているように、「十字架の死と復活」と言うイエス・キリストの出来事それ自体が前面に出てくる把握とはやはり隔たりがある。(「補記(1)」参照)

また「福音」と「福音書」がどう言う関係にあるか、と言う問題に対する気付きもまだ余り見当たらないようだ。
(※欧米での一般的理解は、福音はパウロ的「福音」理解、即ち『信仰義認』に還元される傾向があり、福音書は「福音」の本質理解には余り重用されず、「背景となるストーリー」程度に受け止められる傾向がある。「補記(2)」参照)

と言うことで、余り足しにもならないようなことかもしれませんが、間隙を埋めるためのポスト、と言うことでご容赦ください。

ではまた。

補記(1)
福音の「出来事性」の側面の重要性を掴んでいる解説としては、これは参考になるかもしれない。
しかし「十字架」偏重で「復活」が欠落している、とみなされても仕方ないだろう。

補記(2)
福音を日本人にも受容されるように、と言う主張は分かるが、この福音理解の枠組みは「信仰義認」であることに変わりがない、と言えるだろう。