tag:blogger.com,1999:blog-32581815582465582102024-03-05T18:48:09.687+09:00福音の再発見ファンサイトAnonymoushttp://www.blogger.com/profile/03156714145271634992noreply@blogger.comBlogger76125tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-42450249359095397792020-09-16T19:56:00.002+09:002020-09-17T16:45:45.094+09:00新装改訂版が出ます!!<p style="text-align: center;"><span style="font-size: large;">『<b>福音の<span style="color: red;">再</span>発見</b>』</span><span style="font-size: large;">新装改訂版</span></p><p style="text-align: center;"><span style="font-size: large;">スコット・マクナイト◉著 中村佐知◉訳</span></p><p style="text-align: center;"><span style="font-size: large;"><span style="background-color: #d0e0e3;"><b> 9月24日発売予定 </b></span> <br /></span></p><p style="text-align: center;">2013年の刊行と同時に話題沸騰、今も問い合わせが途絶え<br />ることのない名著が、聖書の引用箇所を『新改訳2017』に全<br />面改訂。よりコンパクトになって復刊する。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgHcC2k7lXowNwyA4pcYPB_vRo59sHnO61yqMHr4e8oESsrnxmGfcxzsifFdrLeSw30QO2c23xOQcOj0tDd_w2VLgU6YhzPX7CBwHNzEVvnapmTacYD4qsH1TSoevQGzweZ34hyphenhyphen404SdSI/s411/119201578_277457416702375_5522397747686324266_n.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="411" data-original-width="280" height="585" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgHcC2k7lXowNwyA4pcYPB_vRo59sHnO61yqMHr4e8oESsrnxmGfcxzsifFdrLeSw30QO2c23xOQcOj0tDd_w2VLgU6YhzPX7CBwHNzEVvnapmTacYD4qsH1TSoevQGzweZ34hyphenhyphen404SdSI/w398-h585/119201578_277457416702375_5522397747686324266_n.jpg" width="398" /></a></div><p><span style="font-size: large;">新しくなったところ</span></p><ol style="text-align: left;"><li><span style="font-size: large;">大きさが一回り小さく <br /></span></li><li><span style="font-size: large;">聖書引用は『新改訳 2017』 <br /></span></li><li><span style="font-size: large;">マクナイトによる</span><span style="font-size: large;"><span style="font-size: large;">(</span><span style="font-size: large;"><span style="font-size: large;">前書き</span>)</span>「</span><span style="font-size: large;"><span style="font-size: large;">日本の読者へ</span>」</span><span style="font-size: large;"> <br /></span></li><li><span style="font-size: large;">「解説追記」</span></li><li><span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">訳文も改めて全部点検し誤字や言い回し等を原文に沿ったものに直しました。</span> <br /></span></li></ol><p style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">【目次】</span></p><p style="margin-left: 40px; text-align: left;"><span style="font-size: large;"><span style="font-size: small;">第2版にあたって、日本の読者へ 8<br />N. T. ライトによる推薦のことば 11<br />ダラス・ウィラードによる推薦のことば 15<br />「1971」 19<br />第1章 重要な問い 27<br />第2章 「福音の文化」か、「救いの文化」か 35<br />第3章 物語から救いへ 45<br />第4章 パウロによる使徒的福音 61<br />第5章 救いは福音をいかにして飲み込んでしまったのか 89<br />第6章 福音書の中の福音? 111<br />第7章 イエスと福音 133<br />第8章 ペテロの福音 165<br />第9章 今日における福音の宣言 195<br />第10 章 福音の文化を造る 217<br /> 付録1 新約聖書に見られる福音の要約 241<br /> 付録2 殉教者ユスティノス第一弁明66、67 章 241<br /> 付録3 使徒行伝に見られる説教 243<br />あとがき 259<br />解説 271<br />解説追記 274<br />訳者あとがき 276 </span><br /></span></p><p style="text-align: left;"><span style="font-size: large;">早速<a href="https://biblehouse.jp/?pid=153950897&fbclid=IwAR1uos4QexF3src9cgGlZ7jYW_EjE6_sUQS8DiGrMGLZ08d8ZOM5RA_fn5E">購入する</a>(バイブルハウス南青山)!!<br /></span></p>Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-5998933534427383972018-11-11T19:54:00.001+09:002018-11-11T19:54:29.102+09:00久しぶりの投稿ですこのウェブサイトではなんと4年半ぶりの投稿です。<br />
<br />
実は『福音の再発見』は2刷まで出たのですが、在庫がなくなっています。<br />
<br />
個人的に数冊持っていたのですが、今年二人の方から問い合わせがあり、それぞれ2冊ずつお分けしました。<br />
<br />
(残り一冊となりましたが)その8月に送った方から読後感想と共に「もっとないか。あったら買いたい。」とのことでした。<br />
どうしたらいいか検討しているところです。<br />
<br />
さてその方の読後感を(許可を得て)ここに紹介したいと思います。<br />
<br />
関西の方で伝道している方です。<br />
<br />
一生懸命伝道して人を集め教会活動をしてきたけれど、みな疲れ果ててしまった。<br />
せっかく集った人たちも多くが去っていってしまった。<br />
というまさに『福音の再発見』の帯のコピーのような感じです。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEit_WV1yPekqOsD6F5uWnq4hdPLUYQbDDbMd579XwQpDFNLTy4hCzo-PKmL16ixqtM6Ux2X1XDqgrQjU3oCmZ3tuvwSglimZd3h81FOuL_xnwjt2pR-KMZ5NobUJyk9PcyH1WWbxma33fw/s1600/%25E7%25A6%258F%25E9%259F%25B3%25E3%2581%25AE%25E5%2586%258D%25E7%2599%25BA%25E8%25A6%258B.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="438" data-original-width="300" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEit_WV1yPekqOsD6F5uWnq4hdPLUYQbDDbMd579XwQpDFNLTy4hCzo-PKmL16ixqtM6Ux2X1XDqgrQjU3oCmZ3tuvwSglimZd3h81FOuL_xnwjt2pR-KMZ5NobUJyk9PcyH1WWbxma33fw/s320/%25E7%25A6%258F%25E9%259F%25B3%25E3%2581%25AE%25E5%2586%258D%25E7%2599%25BA%25E8%25A6%258B.jpg" width="219" /></a></div>
<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<br />
<blockquote class="tr_bq">
<div id="yiv1081698837AppleMailSignature">
<span style="background-color: #ffe599;">この夏は『福音の再発見』を分けていただき、ありがとうございました。『<a href="http://amendo.ocnk.net/product/46">驚くべき希望</a>』(注: あめんどう、2018年10月刊)と合わせて、親しい日本人の友人たちと回して読みしながら、そうかあ、そういうことだったのかと『salvation
Gospel』から『whole Gospel』の再発見に目が開かれていく思いです。</span></div>
<div id="yiv1081698837AppleMailSignature">
<span style="background-color: #ffe599;"><br /></span></div>
<div id="yiv1081698837AppleMailSignature">
<span style="background-color: #ffe599;">最近になってやっと(!)、私たちの教会の牧師が、これらの本を読んでみようというお気持ちになられて、……。それで、もしまだ『福音の再発見』の在庫がありましたら、1冊でも2冊でも譲っていただけますでしょうか。</span></div>
<div id="yiv1081698837AppleMailSignature">
<span style="background-color: #ffe599;"><br /></span></div>
<div id="yiv1081698837AppleMailSignature">
<span style="background-color: #ffe599;">私たちの教会は、宣教師の開拓伝道によって始まり、多くの高校生〜若い社会人200名以上が救われたと思います。……
けれども、クリスチャンとなった人たちを育てることに重きは置かれませんでした。御国が来ることを待ち望むことは教えられませんでした。何十年も「教会」が伝道中心の場であった結果、疲れ果ていつの間にか離れていく人たちを見過ごし、宣教師もだんだん去り、日本人のリーダーが育ってきませんでした。何かがおかしいと気付きながら、でも必至に日曜日をまわし、ミニストリーを続けることでいっぱいいっぱいであったと思います。……</span></div>
<div id="yiv1081698837AppleMailSignature">
<span style="background-color: #ffe599;"><br /></span></div>
<div id="yiv1081698837AppleMailSignature">
<span style="background-color: #ffe599;">新しい年に向かって、神様が差しだしてくださっている驚くべき希望の福音を、愛する教会の人たちが知ることができますようにと祈っています。</span></div>
<div id="yiv1081698837AppleMailSignature">
<span style="background-color: #ffe599;">(※個人が特定されないよう一部表現を変えています。) </span></div>
</blockquote>
<div id="yiv1081698837AppleMailSignature">
</div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-35873039988671895402014-05-25T13:58:00.000+09:002014-05-25T13:58:12.733+09:00出版から1年が過ぎてお久し振りです。タカ牧師です。<br />
<br />
スコット・マクナイト「福音の再発見」出版からもう一年が経ったわけです。<br />
何か長い1年に感じるのです。<br />
<br />
とにかく一つの本が世に出て1歳になったわけだ。<br />
<br />
これまで、この「応援・ファンサイト」では「福音の再発見」出版後、様々な反応を拾ってきました。<br />
<br />
しかし半年もすると段々「新発見」はなくなりましたね。<br />
それにつれて更新記事も減ってしまいました。<br />
<br />
だから余計長く感じるのでしょうか。<br />
<br />
さて1周年を記念して、ちょっと感想や紹介を。<br />
<br />
<span style="font-size: large;"><a href="http://kingjesusgospeljapan.blogspot.jp/2013/08/blog-post_20.html">発売後の反応⑨</a></span>、で紹介した、「長田家の神戸便り」の連載が終わりました。<br />
全15回かけて感想をブログにアップしてくださいました。ありがとうございました。<br />
<br />
連載の最後に、「<span style="font-size: large;"><a href="http://blog.goo.ne.jp/nagata-lee/e/0e61033c5c5fdcf843c60a045b10b8c7">全体を振り返って</a></span>」でまとめてくださいました。<br />
先ずその感想を。<br />
<br />
(1)「聖書」解釈のアプローチの問題<br />
長田さんは『救済論』『キリスト論』『教会論』など、主に「組織神学」的枠組みでマクナイトの本の主張や中身を自分なりに整理されている、と思いました。<br />
<br />
これに対してマクナイト自身のアプローチはどうであったかと言うと、大雑把に言えば「(新約)聖書神学」的整理であったと思います。<br />
テキストを「福音」のテーマのもとに在庫整理したわけですね。<br />
<blockquote class="tr_bq">
①パウロ書簡(特にⅠコリント15章)<br />
②福音書<br />
③使徒行伝の説教</blockquote>
これらは「福音=『イエス・キリストは王である』と言う宣言」が、《旧約聖書のストーリー》を完結すると言う文脈で展開されている、と言う検討のもとにまとめられているものです。<br />
<br />
重要なのは《ストーリー・ライン》が(簡略されたり、一部省略されたりしてはいても)一定かどうか、と言うことにあると思います。<br />
<br />
まことに簡単ですが、Ⅰコリント15章の最初の方に「聖書の示すとおりに(3節)」「聖書にしたがって(4節)」はそのことを端的に示しています。<br />
<br />
つまり『イエス・キリストの出来事』と言う歴史的展開が、《(旧約)聖書のストーリーライン》に沿って成就したかどうかが、福音提示の一大関心事であった、と言うことをマクナイトは跡付けたいのだと思います。<br />
<br />
もちろん「福音の再発見」は「聖書神学」的整理から始めていますが、やがて歴史神学的関心に移ります。<br />
『信仰の規範』が信条に、そして宗教改革の信仰告白に、と時代が経るにつれて、《オリジナルなストーリー・ライン》はどれだけその痕跡をとどめているのか、と言う関心のもとに概観されています。<br />
<br />
そして結論は本のタイトルが示唆するように、いつの間にか「(個人の)救済」が中心に来るようになり、《ストーリー・ライン》は影を潜めてしまった、と言うことです。<br />
<br />
(2)歴史的関心の問題<br />
「福音とはもともと何であったか」と言う問題意識は、「福音の神学的内容が何であったか」という問いの前に来る、より根本的な歴史的関心だと思います。<br />
<br />
新約聖書各文書が歴史的にどのように形成され、今日の27文書「新約聖書正典」に編集されていったのか、についてはやや複雑なのでここでは避けますが、マクナイトがⅠコリント15章をスタートラインにしたのは、(そして新約聖書テキストとしては時代的には最後の方になる福音書を採用しなかったことは)、その辺の事情ではないかと思います。<br />
<br />
(3)重要テーマとしての「神の民」「イスラエル」<br />
「神の民」「イスラエル」は聖書にそのまま出てくる語であり、私たちが想像するよりはるかに一世紀ユダヤ人キリスト者の「自己同一性」を左右したものであったと思われます。<br />
<br />
その意味で私たち21世紀のキリスト者が「神の民」「イスラエル」と言う言葉を聞いて感ずることとは、それらの語の「実体性」と言う点でかなり温度差があるのではないかと思います。<br />
<br />
<br />
最後になって失礼ですが、 「福音の再発見」の書評を<span style="font-size: large;"><a href="http://www.bunsyo.or.jp/pdf/2013_12.pdf">本のひろば</a></span>(2013年12月号)に掲載くださった(<span style="font-size: large;"><a href="http://amendo.ocnk.net/">あめんどう</a></span>社の)小渕春夫さん、ありがとうございました。<br />
<br />
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-39367451721383170552014-04-30T17:43:00.001+09:002014-04-30T17:45:58.459+09:00「福音の再発見」読書会の記録のご案内 立川自由福音教会の高橋先生が自由福音教会連盟牧師会で本書、「福音の再発見」をお取り上げいただき、御講演いただいたようであります。ありがとうございます。<br />
<br />
まず、子供が祖父母に向かって「おじいちゃんおばあちゃんが地獄に落ちてしまうのが悲しい」という素朴な信仰の問題から始め、<br />
<br />
1.なぜ今、福音の再発見が必要か <br />
<br />
2.福音を聖書全体のストーリーから理解し直す<br />
<br />
3.バビロン捕囚の中で記された祈りを、原発事故で苦しむ日本の祈りへと変える<br />
<br />
4.罪の根本とは、神の支配の簒奪者となること<br />
<br />
というテーマで、「東日本大震災」や「福島の原発災害」等との関連で、どう再発見された「福音」をこれらの被害者の方々を含め、痛む方々に「解決があります。天国に行けるのですから」と紋切り型に語るのではなく、本来の聖書の主張に立ち戻り、聖書で紹介されているイエスの福音に立ち、神の御計画とのかかわりで、本来的な神の福音を語ることについて論考しておられる。<br />
<br />
もっとも印象に残った最終結論の部分を引用してご紹介したい。<br />
<br />
確かに、イエス・キリストの再臨を私たちは待ち望んでいる。その時、主はたちどころにこの地の問題を解決してくださる。しかし、それは、<b>「私たちがパラダイスの夢を見て昼寝をしている間に、神がすべてを解決してくださる」というような意味ではない。</b>それは、何よりも、<b>私たちの現在の労苦を無駄にせずに、完成に導いてくださるという意味</b>であって、私たちの現在の地道な働きを軽んじるようなものではない。イエスの復活によって始まった新しい時代においては、「あなたがたは、自分たちの労苦が、主にあって無駄ではないことを知っている」(Ⅰコリント15:58)と確信を持って互いに語り合うことができる。私たちは、今、<b>「神の国」の完成へのプロジェクトに、「神のかたち」としての誇りと自信を持って参画させていただくことができる。</b>そして、そこでこそ、<b>神によって生かされていることの意味と目的が明らかにされる</b>のだ。<br />
<br />
記事本体は、<a href="http://efctachi1.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-fa61.html" target="_blank">こちら</a>から。<br />
<br />
高橋先生、お取り上げいただき、感謝。<br />
<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/03156714145271634992noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-88102610652432480722014-04-08T18:26:00.002+09:002014-04-08T18:28:57.668+09:00うれしいお知らせ皆さま、 大変、嬉しいお知らせでございます。<br />
<br />
あの、スコット・マクナイト著、中村佐知訳、キリスト新聞社刊『福音の再発見』が、何と<br />
<br />
<a href="https://www.facebook.com/media/set/?set=a.676284925766529.1073741835.529260447135645&type=1" style="-webkit-text-stroke-width: 0px; background-color: white; color: #3b5998; cursor: pointer; font-family: Helvetica, Arial, 'lucida grande', tahoma, verdana, arial, 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 14.399999618530273px; font-style: normal; font-variant: normal; font-weight: normal; letter-spacing: normal; line-height: 15.455999374389648px; orphans: auto; text-align: left; text-decoration: none; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: auto; word-spacing: 0px;">2014年キリスト教本屋大賞ノミネート作品10点決定!</a><br />
<br />
<br />
されたそうでございます。並みいる名著を押しのけ<span style="font-size: x-small;">(個人的には、新教出版のボウカムの<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E5%85%A5%E9%96%80-%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%A6%E3%82%AB%E3%83%A0/dp/4400520714/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1396940809&sr=1-1&keywords=%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E5%85%A5%E9%96%80" target="_blank"><span class="lrg bold">イエス入門</span></a>とラウシェンブッシュの<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E3%81%A8%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%8D%B1%E6%A9%9F-%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%82%92%E8%A6%9A%E9%86%92%E3%81%95%E3%81%9B%E3%81%9F%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E7%A6%8F%E9%9F%B3-%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC-%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5/dp/440040725X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1396940694&sr=1-1" target="_blank"><span class="lrg bold">キリスト教と社会の危機: 教会を覚醒させた社会的福音</span></a>が</span><span class="lrg bold"><span style="font-size: x-small;">入っていないのが不満。と度量の大きさを見せておこうwww)</span>、キリスト教本屋大賞にノミネートされてござる。<br /><br />ホーマー・シンプソンのように</span>Woo Hoo!<span class="lrg bold">と叫んでおこう。<span style="font-size: x-small;">動画をご覧になりたい方は、<a href="https://www.youtube.com/watch?v=_lAEO07SISU">こちら</a>から。</span></span><br />
<br />
<br />
<br />
<span class="lrg bold"><br />引き続き、ご愛読くだされたく。愛読者のみなさまには、ずずずぃ~~~~~っと、心よりの御礼申し上げまする。<br /><br />取り急ぎのごあいさつでございまする。</span>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/03156714145271634992noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-5492783801960869412014-03-21T10:38:00.000+09:002014-03-21T10:38:34.038+09:00「福音のこと、ちょっと」タカ牧師です。<br />
<br />
今回ご紹介する記事はかなりディープです。<br />
<br />
クリスチャン・ブログとしてはかなり古参の一つと言えるのではないかと思いますが、「ミルトスのか<span style="font-size: small;">げで(旧「はちことぼぼるの日記」)」</span>に掲載された二つの記事がなかなか読み出があります。<br />
<br />
<span style="font-size: large;"><a href="http://d.hatena.ne.jp/mmesachi/20140316#1395004722">福音のこと、ちょっと</a> </span><br />
<br />
<span style="font-size: large;"><a href="http://d.hatena.ne.jp/mmesachi/20140318#1395157949">福音のこと、ちょっと(2)</a></span><br />
<br />
「いいね」ボタンの数を見ても、コメント書き込みを見ても、結構反響があるのが分かります。<br />
<br />
いわゆる「地獄の恐ろしさを前面に出して入信を迫る」福音提示の問題ですね。<br />
<br />
イエス・キリストを救い主と信じなければ、あなたは「地獄行き」です、と語られる伝道メッセージはまだまだ福音派の支配的なパラダイムではないですかね。<br />
<br />
しゃべり方をソフトにしたり、トーンダウンしたりとそれなりに工夫はしていると思いますが・・・。<br />
<br />
このような「ヘル・ファイアー」型説教の元祖と言われたりする、18世紀北米第1次大信仰覚醒運動の指導者、ジョナサン・エドワーズの「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%92%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%BE%A1%E6%89%8B%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E7%BD%AA%E4%BA%BA">怒れる神の御手の中にある罪人</a>」について一言。<br />
(彼のリバイバル説教の背景については、この<a href="http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=427">ブログ記事</a>を参照してみてください。)<br />
<br />
余り混み入ったことは書きませんが、エドワーズのこのようなエモーショナルな面に訴え「まるで地獄に行っているような感を与える」説教の下敷きとなった『認識論』、当時で言うと最先端であった英国人ジョン・ロックの思索を大陸でいち早く取り入れた成果であった可能性があります。<br />
<br />
何て言うか単に「知的に知る=命題化された知識を肯定する」だけではなく、より知覚的な体験化される知識・・・とでも言いましょうか。<br />
<br />
ですからそのような知見を説教に取り入れると言うのは先端的な試みだったのではないかと思います。<br />ただそのうちの一つが「地獄」であり、それが第一次大信仰覚醒運動だった、ということになるのでしょうが。<br />
<br />
さてそのようなエドワーズの試みとは時代を隔てて、20世紀のビリー・グラハムのリバイバル・クルセードのような大衆伝道における文脈は大分異なってくるのではないかと思います。<br />
<br />
ビリー・グラハムの伝道説教がそうであったとは断言できませんが、このような伝道メッセージの方法から、人心操作、心理的操作の要素が次第に巾を利かすようになってきたのではないかと思うのです。<br /><br />スケアー・タクティックとも言いますが、多分にレトリカルな言語を用いながら人心を話者が目指す方向に誘導するような話術とでも言いましょうか。<br />
<br />
話者と聞く者とが「真理の伝達」と言う前提でコミュニケーション基盤が出来ていればまだいいですが、そのような「言葉を介しての相互信用」が担保されない、利害を異にする他社対他者の関係において、たとえば広告と言うような場面で「心理操作」は見えない形で巧妙に使われます。<br />
<br />
一定の効果を発揮する技術としてこのような心理操作が「福音の伝達」という大義名分のもとに、目的が手段を正当化する、と言うような意識で知らず知らずのうちに乱用されるようになってきたのだとしたら・・・。<br />
<br />
その辺が「地獄」を前面に出す説教に問題として内在していないか、と懸念するのです。<br />
<br />
そのようなテクニックは更に巧妙化する可能性があります。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<iframe allowfullscreen='allowfullscreen' webkitallowfullscreen='webkitallowfullscreen' mozallowfullscreen='mozallowfullscreen' width='320' height='266' src='https://www.youtube.com/embed/mACbV4xweHE?feature=player_embedded' frameborder='0'></iframe></div>
<br />
これは街頭での一応対話形式の伝道と言う体を取っています。<br />
<br />
しかしよく聞いていくと、キリスト教にネガティブな意識を持つ人々に、フェアーに真理を論証していると見せながら、聞く側の感情を徒に刺激したり、それをばねにして論争を発展させその間にポイントを稼ぐ、と言うかなり洗練されたテクニックになっているように思うのです。<br /><br />このケースでは相手をした女性が次第に追い込まれ泣いてしまいます。<br />議論で公平を装いながら、この議論についつい誘い込まれた女性を利用して、聞いている周りの人たちに理論的に筋が通っているのは自分の方であることを間接的にデモンストレートする方法です。<br />
<br />
このような方法がどの程度効果があるのかはかなり疑問です。<br />逆効果の方が大きいのではないかと思います。<br />
実際別の女性は「如何にお前がやっていることはひどい」かを列挙してその場を後にする例もあります。<br />
<br />
どちらにしても相手の感情を逆なでしたり、挑発したりしながら、議論に持ち込んでポイントを稼ぐ伝道方法と言うのは、倫理的にかなりどうかと思います。<br />
<br />
かなり「地獄」の話題からは逸れてしまいましたが、一つこのような伝道方法を考える時に参考になる聖書のエピソードを挙げておきます。<br />
<br />
使徒行伝27章に囚人となってローマに行くパウロのことが書いてありますが、この時乗船した船が嵐で難破しそうになります。<br />
<br />
嵐は収まりそうも無く、人々が生きる望みを殆んど失いかけていた時、パウロは間近に迫った死に備えて、「あなたがたは今天国に行くか、地獄に行くか、二つ道のうちどちらかを選ぶ岐路に立たされています」、などと伝道説教したでしょうか。<br />
<br />
あのパウロがしなかったとしたら(少なくともルカはそのようなことを記述していません)、パウロは伝道者として余りにも無責任だったのでしょうか・・・。<br />
<br />
最後に時代はどのように変わっても、キリスト者が自らの信仰を弁明する時に必要な態度として少なくとも二つあるのではないかと思うのです。<br />
<br />
①聞く者の「良心」に訴える<br />
使徒行伝の使徒たちの説教(ルカによってかなり要約されていますが)を見てみると、(旧約)聖書に照らしてイエスがメシアであることを論証し説得しようとした、と言う事がいたるところで記されています。その上で福音に応答するかどうか「良心」に訴えた、と言えるのではないかと思います。<br />
<br />
②慎み深く弁明する<br />
公的な場で論証する機会に恵まれない場合、キリスト者はその生き様で証ししたのだと思います。そしてその生き様が引き金となって周囲の人に「どうして」と聞かれた時、福音を弁明する機会を得たわけです。(ペテロの手紙一3:15) <br />
<br />
<br />Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-34707430675102943512014-03-06T10:26:00.000+09:002014-03-06T10:26:02.243+09:00ちょっとひねった「福音の再発見」紹介記事著名なキリスト教ブログ「命と性の日記」で、サータネットの聖書圧縮商品に敵対的な本として紹介されています。(笑)<br />
<blockquote class="tr_bq">
最近は、「<strong>福音の再発見</strong>」とかいう本が日本でも出版されたり、「<strong>ケープタウン決意表明</strong>」が採択されたりと、福音を圧縮するのでなく、<strong>本来の深さと広さに回復</strong>しようとする流れがあるようですが、私は大変このことを悲しんでおります。そんな<strong>信仰理解</strong>に立って、その福音に生きようとしたら、大変ですよ。<strong>ストレス高い</strong>ですよ。<strong>快適な信仰生活</strong>など望めませんよ。</blockquote>
記事(<span style="font-size: large;"><a href="http://blog.kiyoshimizutani.com/?day=20140305">「悪魔の通信販売(2)~聖書圧縮袋」</a></span>)の最後に<br />
<blockquote class="tr_bq">
〈<strong>聖なる消費者相談センター</strong>よりご注意とお願いです〉 <br />
※この商品の購入はしなくても、聖書を<strong>事実上圧縮</strong>し、「神・罪・救い」のみを福音理解とした福音の<strong>個人化、内心化</strong>に由来する様々な<strong>被害報告</strong>が、当センターに寄せられております。読者の皆様におかれましては、「<strong>福音の再発見</strong>」や「<strong>ケープタン決意表明</strong>」をお読みいただき、自らの信仰理解を検討され、聖書が示す<strong>本来の福音の豊かさ</strong>に生きる歩みへと前進されますよう切に願っております。</blockquote>
として推薦されています。<br /><br />
ちょっとひねった推薦記事でした。 Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-69761476832899260812014-03-05T09:21:00.001+09:002014-03-05T09:21:14.549+09:00発売後の反応⑪久し振りの「発売後の反応」シリーズでのアップです。<br />
<br />
一応記事のアップが2013年8月ですから、まだ発売後3ヶ月のものですね。<br />
先ずちょっと<span style="font-size: large;"><a href="http://www.bswelisha.com/2013/08/blog-post_8.html">投稿記事</a></span>からの抜粋です。<br />
<blockquote class="tr_bq">
自分達こそ聖書的だと自負している21世紀の福音主義者や根本主義者に対する、痛いほどに的を得た内容です。<br />
<br />
伝道集会で「決心」した人が次の週に教会に来ない理由は・・・ キャンプで「イエス様を心にお迎えするお祈り」をした子供達のほとんどが教会から消えていく理由は・・・ 私達にとって、そして教会の将来と次世代育成にとって非常に大切な議論です。<br />
<br />
やや難しい内容ですが、中村佐知さんのとても読みやすい邦訳です。 </blockquote>
ブログ主は、滝山聖書バプテスト教会牧師、片村 襟舎(エリシャ)さんです。<br />
<br />
さてまた少し「反応」を探して見ます。<br />
まだ見つかるかな・・・。 <br />
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-43819595345330887072014-02-18T13:54:00.000+09:002014-02-18T13:54:00.327+09:00紹介・書評サイトお久し振りです。タカ牧師です。<br />
<br />
大分間が開いてしまいました。<br />
<br />
2013年5月に出版されてからまだ1年も経っていないのですが、何かかなり時間が経ったように感じます。<br />
<br />
さて今回は小さな報告、と言うか紹介・案内です。<br />
<br />
先ずは、「福音の再発見」が北米ロスアンジェルスにあるクリスチャン・ブックセンターと言う本屋さんの「2013年おすすめ書籍」に選ばれました。(<span style="font-size: large;"><a href="http://christianbookcenter.net/osusume2013.html">リンク</a></span>)<br />
<br />
それから、<a href="http://amendo.ocnk.net/"><span style="font-size: large;">あめんどう出版</span>社</a>の小渕さんによる書評が「<span style="font-size: large;"><a href="http://www.bunsyo.or.jp/hiroba/">本のひろば</a></span>」2013年<span style="font-size: large;"><a href="http://www.bunsyo.or.jp/pdf/2013_12.pdf">12月号pdf</a></span>に掲載されました。<br />
ネットでも読めますのでご一読ください。<br />
<br />
世界福音伝道会の「牧羊会」と言うところで紹介されました。(<span style="font-size: large;"><a href="http://www.sfdk.org/2013/09/04/%E7%89%A7%E7%BE%8A%E4%BC%9A%E3%80%802013%E5%B9%B49%E6%9C%883%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89/">リンク</a></span>) <br />
<br />
それではまた。 <br />
<br />Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-50067402253680345152013-11-10T21:35:00.002+09:002013-11-10T21:35:52.212+09:00『福音』とはお久し振りです。タカ牧師です。 <br />
<br />
長ーーい間、更新がありませんでした。<br />
失礼しました。<br />
<br />
今年5月に発売されてから2ヶ月くらいは「反応」が結構ありました。<br />
その後8月くらいまではちらほら「反応」がありました。<br />
<br />
「さすがに」、と言うか、「残念ながら」、と言うか、段々ネット上の反応は少なくなってきたようです。<br />
それで「ネタ探し」も尽きてきたかなー・・・、と思っておりました。<br />
<br />
ブログスフィアーでは最早更新のなくなったブログを「ゾンビー」などとおぞましい言葉を使って呼んでおります。<br />
<br />
このブログサイトも、まだそこまでは行きませんが、気をつけないと・・・。<br />
<br />
それで適当に足跡だけは付けておこうと思いました。<br />
<br />
今日の御題は『福音』とは。<br />
<br />
まっこのブログサイトは、スコット・マクナイトの「福音の再発見」ファンサイトでもありますから、適当ではないかと思います。<br />
<br />
さて「福音とは」や「福音とは何か」でググって見ますと、案外と言うか、何と言うか、辞典系サイトの説明が割合、学術的に、歴史的に、原語的に参考になるものを結構含んでいるように思う。<br />
<blockquote class="tr_bq">
元来はギリシア語euangelionで語義は〈よい知らせ〉。古典ギリシア文献では,たとえば戦勝の知らせを指して用いられる。ローマ時代には,皇帝を神的存在とみなし(皇帝礼拝),その即位等の知らせを〈よい知らせ〉と呼ぶことが行われた。旧約聖書では,この語に対応するヘブライ語名詞の用例には見るべきものがないが,同じ語根の動詞から出た〈喜びの使者〉の,とくに《イザヤ書》52章7節(前6世紀後半)での用例は,新約聖書の〈福音〉との関連で注目を要する。(「世界大百科事典 第2版<span>の解説」</span>)</blockquote>
<br />
<blockquote class="tr_bq">
1 喜びを伝える知らせ。よい便り。「―をもたらす」<br />2 イエス=キリストによってもたらされた人類の救いと神の国に関する喜ばしい知らせ。また、福音書にしるされているキリストの生涯と教え。(「デジタル大辞泉<span>の解説」・・・以上2件の<a href="http://kotobank.jp/word/%E7%A6%8F%E9%9F%B3">リンク先</a></span>)</blockquote>
<br />
これと比較すると、キリスト教関係者(牧師や、ちょっと知っていそうな信徒の方)の説明は、マクナイトの言う「救い派」丸出しのような内容になりやすい・・・と言う印象を受けます。<br /><br />マクナイトが案じたように福音を殆んど自明のこととしているために、「神・罪・救い」のメッセージが既に「雛形・下敷き」となっていて、その枠組みで説明してしまおうとする傾向がある。<br />
<br />
マクナイトが新約聖書の福音理解のスタートラインとした、第一コリント15章や、(マクナイトは重用しなかったが)ローマ書1章2-4節、『御子の福音』が指示しているように、「十字架の死と復活」と言うイエス・キリストの出来事それ自体が前面に出てくる把握とはやはり隔たりがある。(「補記(1)」参照)<br /><br />また「福音」と「福音書」がどう言う関係にあるか、と言う問題に対する気付きもまだ余り見当たらないようだ。<br />
(※欧米での一般的理解は、福音はパウロ的「福音」理解、即ち『信仰義認』に還元される傾向があり、福音書は「福音」の本質理解には余り重用されず、「背景となるストーリー」程度に受け止められる傾向がある。「補記(2)」参照)<br />
<br />
と言うことで、余り足しにもならないようなことかもしれませんが、間隙を埋めるためのポスト、と言うことでご容赦ください。<br />
<br />
ではまた。<br />
<br />
補記(1)<br />
福音の「出来事性」の側面の重要性を掴んでいる解説としては、<a href="http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/change-your-mind.html">これ</a>は参考になるかもしれない。<br />
しかし「十字架」偏重で「復活」が欠落している、とみなされても仕方ないだろう。<br />
<br />
補記(2)<br />
福音を日本人にも受容されるように、と言う主張は分かるが、<a href="http://japanesechristian.seesaa.net/article/162861989.html">この福音理解</a>の枠組みは「信仰義認」であることに変わりがない、と言えるだろう。 <br />
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-2403838011330914612013-09-09T21:23:00.002+09:002013-09-09T21:23:41.918+09:00発売後の反応⑩細々と続いているような印象をお持ちの方も多いことと思います。<br />
<br />
タカ牧師、少し夏バテでペースダウンしています。<br />
<br />
さて「読者の反応」と言うことでまた一つ。<br />
<br />
<span style="font-size: large;"><a href="http://meigata-bokushin.secret.jp/">牧師の書斎</a></span><br />
というブログがあります。<br />
<br />
<br />
<br />
何やらとても「ユダヤ的視点から聖書を読み取る」ことに関心の深い牧師さんのようです。<br />
「イエス」と呼ばず、「イェシュア」と表記しています。<br />
<br />
ちょっとおっかない感じもしましたが「福音の再発見」が紹介されていますので、記事にしてみようかと。<br />
(※「福音の再発見」の簡単な紹介ではないので、そこのところよくご理解ください。)<br />
<br />
以下のような流れで<span style="font-size: large;"><a href="http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E3%80%8C%E3%83%9F%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81">紹介</a></span>されています。 <br />
<blockquote>
<div class="quotation">
<span style="background-color: paleturquoise;"><b>(4) イェシュアの語った福音</b></span></div>
</blockquote>
<ul class="list1">
<li>「イエスの福音」ということばを聞いて、このことばに驚かれるクリスチャンもいれば、ほとんど抵抗を感じな
い方もおられるのではないかと思います。このことばは、実は、これまでのキリスト教会の福音の理解を再検証する含みで言われていることばなのです。つまり
「十字架の福音」と言うだけでは、「イエスが語ろうとした福音」には届いていないという<span style="background-color: pink;"><b>警鐘的標語</b></span>なのです。<b><span style="color: red;">※脚注</span></b></li>
<li><blockquote>
<div class="quotation">
<b><span style="color: red;">※脚注</span></b></div>
<div class="img_margin_right" style="float: right;">
<img alt="画像の説明" height="153" src="http://meigata-bokushin.secret.jp/swfu/d/s_s_s_s_f.JPG" title="画像の説明" width="109" /></div>
<div class="quotation">
2013.5に、スコット・マクナイト師の「福音の再発見」という本がキリスト新聞社から翻訳出版されまし
た。現在用いられている「福音」という言葉は、イエスや使徒たちが意味していた本来の福音をもはや指すものではなくなってしまったと警鐘をならして、イエ
スの語った「福音」に焦点を当てています。彼によれば、「福音とはイスラエルの物語を完成させるイエスの救いの物語であり、イエスは明らかに、イスラエル
を救う神のご計画の中心に自分を据えていた。」と述べています。別の表現をするならば、「福音とは、イスラエルのメシアであり、すべてのものの主であり、
ダビデの裔(すえ)である救い主イエスの、その救いの物語によって完結するイスラエルの物語である」としています。アーメンです。<b><span style="color: red;"><br /></span></b></div>
</blockquote>
</li>
</ul>
と言うことで、「福音の再発見」に限って言えば、仰っておられることは大体そうだと言えるのですが、このページ全体の文脈に広げて見ますと、「イスラエルの回復」とか、「置換神学」、とか幾つか特定の「神学的伝統」の解釈の問題を引きずっている印象があります。<br />
<br />
もちろん誰もが一定の神学的伝統(自覚的にか、無自覚的にか)に負いながら「聖書」を解釈しているわけですから、そのこと自体を問題視するだけでは・・・と思います。<br />
<br />
ただ別な方から入ってきている「読者の反応」を聞いていますと、やや「我田引水」的に、「福音の再発見」の命題を、それら「特定の神学的伝統による解釈」に入れ込もうとしたり、あるいは「聖書解釈研究に熱心な方」が「福音の再発見」からヒントを得て、「ご自分の聖書解釈法」を補強しようとなさったりする傾向があるようです。<br />
<br />
もちろんこれは程度問題であり、少し熱心な方は、誰でもそのような取り組みはしていると思います。<br />
要はそれが他者の批評にどれだけ耐えうるか、やはり「レフェリー」は必要に思います。<br />
<br />
願わくはこのブログもほんの幾分でも、そんな役割が果たせれば良いのですが・・・。<br />
<br />
まっタカ牧師では力不足ですから、余りそんなこと言わない方がよろしいかもしれませんね。 Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-42305506574158441272013-09-09T09:37:00.001+09:002013-09-09T09:37:38.475+09:00いのフェスに出店いたします。さて、いのフェスもいよいよ今週末。<br />いよいよ盛り上がってまいりました。(一部だけという噂はございますが…)<br />
<div>
<br /></div>
<div>
今回のいのフェス、力が入っとりますなぁ。なにせ、「晴佐久神父様×宮台先生」ですし。<br /><br />出店者数も過去最高ではないかと。<br /><br />場所は、<b><span><a href="http://www.hoshien.or.jp/seminar/scotthall.html" target="_blank">早稲田奉仕園 スコットホール</a></span></b>です。<br /></div>
このファングループも、『福音の再発見』を応援する勝手連』として出店いたし、国内メンバーの全員も、当日会場にGo!である。A-9のブースで、「福音の再発見」と「わが故郷、天にあらず」の特価販売(市販価格より少しおやすめ、部数は限定各30部程度)およびNTライトセミナーの情報提供をいたします。<br />
<br />
本ブログのメインライターのTaka先生もお出ましくださるご予定。<br />
<div>
<br /></div>
<div>
Aー9のブースが分からなくても、福音の再発見の画像がかかったブースが目印です。</div>
<div>
<br /></div>
いのフェスでお会いしましょう。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/03156714145271634992noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-62115800104338256462013-08-27T20:17:00.000+09:002013-08-27T20:17:11.470+09:00「福音の再発見」ファン感謝デー・東京編 ご報告先日、8月25日に持たれたイベントの報告です。<br />
<br />
イベントと言っても、関西編と同じく、いやもっと小さなイベントです。<br />
<br />
当日は、その前の日曜日に「奨励」をしてくださったYさん、そしてYさんが誘ってくださったKさん、そしてOさんと小嶋の4人でした。<br />
<br />
2時前に皆さん集まったので時間前に開始。<br />
<br />
最初は自己紹介を兼ねて自分の「キリスト教」との関連みたいな話。<br />
一巡して小嶋の番になったので、その延長で「ミニトーク」をしました。<br />
<br />
小嶋が強調したのはマクナイトが着目したⅠコリント15章の「福音」の中でもその「出来事性」(これは<a href="http://kingjesusgospeljapan.blogspot.jp/2013/08/blog-post_19.html">関西編</a>の時と同じ)、それが出来事の「神学的解釈」よりある意味優先順位が高い、と言うポイントでした。<br />
<br />
少し誤解を招く言い方かもしれません。<br />
<br />
というのも「解釈のない事実そのもの」と言うことはないわけですから。<br />
ただⅠコリント15章の提示の仕方を見ると「伝承」の中心は出来事の「神学的解釈」ではなく、「イエス・キリストの出来事」そのものと言えるだろうと思います。<br />
<br />
僅かにイエスの死に関しては「わたしたちの罪のために」(15:3)と付されていますが、それは新約聖書に展開されている「イエスの死」の意味の多様な解釈と比較する時、ミニマムなものだと言えると思います。<br />
<br />
そんな話をした後で、各自の「福音の再発見」の読後感を語り合いました。<br />
<br />
たとえばKさんだと、自分が通ってきた教会で感じることと「聖書に見る」キリスト教の間にある「齟齬のようなもの」を、マクナイトが『福音』と『救い』を区別したことによって、その「齟齬のようなもの」を少し理解できるようになった。<br />
<br />
自分が感じている「現実の教会」とのずれがどのように生じているかが少し見えるようになった。<br />
それだけでも買った価値があると思っている。<br />
<br />
とか、Oさんのケースだと、中年になるまでなかなか仕事に時間を取られて「信仰」を(神学的に)吟味することがなく、いわゆる「サンデー・クリスチャン」できてしまっていたのが、中年に差し掛かったここ数年幾つかのキリスト教書に触れて、保守的な信仰をただ守るだけでない、「考える」部分があることを発見し始めた。「福音の再発見」はそれらの書物の一つだ。<br />
<br />
この他「神の義」に関する神学談義や、「福音」を日曜日以外にも生きる、社会や世界への適用の問題、知的な信仰に偏らないため「礼拝」と言う習慣を毎日続けること(聖公会の利点)、などなど予定時間を越えて語り合うことが出来ました。<br />
<br />
と言う訳で、「福音の再発見」発売から約1ヵ月後の、御茶ノ水CLC書店での<a href="http://kingjesusgospeljapan.blogspot.jp/2013/06/clcbooks.html">インストアー・トークイベント</a>と比較すると大分こじんまりとしたものになりましたが、二つの「ファン感謝デー」イベントを終了することが出来、感謝でした。 <br />
<br />
後はこの波が少しずつでも波紋のように広がっていければいいな、と思っています。<br />
<br />
<br />
Unknownnoreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-6840656783886819342013-08-20T21:34:00.001+09:002013-08-20T21:34:51.047+09:00発売後の反応⑨本の方の売れ行きは「一落ち着き」しているようです。<br />
<br />
しかしブログの方にはちらほら「読者の反応」が続いて出てきているようなので、嬉しい感じです。<br />
<br />
今回見つけたのは「<span style="font-size: large;">長田家の神戸便り</span>」というブログ。<br />
<blockquote class="tr_bq">
神戸にあります日本イエス・キリスト教団事務局で働きをしています。</blockquote>
と言う方。失礼ながら名前が出ていないので「長田」さんと呼んでおくことにいたします。<br />
<br />
ななんと、マクナイト『福音の再発見』について連載しているのですね。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「1971」という序文がついています。この序文タイトルは、著者17歳、信仰を持ったばかりの時期に経験したエピソードが1971年の出来事だったとこ
ろからつけられたものです。これは、教会の執事による訪問伝道に一緒についていった体験で、福音に何の関心も持たない男性が、余りに熱心な「伝道」によ
り、とりあえず「キリストを受け入れる決心をした」というものです。「伝道とは何か」「福音を伝えるということはどういうことなのか」という著者の問題意
識の始まりとなった出来事です。</blockquote>
これはシリーズ「<span style="font-size: large;"><a href="http://blog.goo.ne.jp/nagata-lee/e/f54efc44f279ce377e2af65aeb7d9db3">その①序文</a></span>」からの引用。<br />
<br />
現在、<span style="font-size: large;"><a href="http://blog.goo.ne.jp/nagata-lee/e/26d7a92a74baed9bbff2168280d9d4e2">その⑨:第8章後半</a></span>まで進んでいます。<br />
<br />
すごいですね。 <br />
<br />
注意深く読み進めていますね。<br />
<br />
「ナルホド」と「どうかな?」と言うカテゴリーを用意して内容にかなり詳細な検討を加えています。<br />
<br />
率直な論考が重ねられていますから、他の読者の方々も参考になさると良いと思います。<br /><br />タカ牧師ももう少しちゃんと読んだら、気がついたことを書いてみようかと思います。<br />
<br />
という訳で簡単にご紹介まで。Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-36831367547738515022013-08-19T21:46:00.000+09:002013-08-19T21:46:05.750+09:00「福音の再発見」ファン感謝デー・関西編 ご報告いやー暑い日でした。<br />
<br />
日曜日の午後ですから、中々出にくい設定だったのですが・・・。<br />
<br />
<span style="font-size: large;">2013年8月11日(日)、午後2~4時</span><br />
<br />
場所は神戸・三ノ宮駅近くの、<span style="font-size: large;">神戸市勤労会館</span>・特別応接室<br />
<br />
部屋は広々快適でした。<br />
<br />
早めに大阪から来会されたWさんと、ひとしきり色々おしゃべり。<br />
まだ「福音の再発見」は読了なされていない様子。<br />
<br />
もう一人参加予定のHさんを待ちながらさらに色々おしゃべり。<br />
相互に関わりがある、Sさんや、T先生や、O先生のことなど。<br />
<br />
時間が過ぎたので、まだHさんが到着していませんがスタート。<br />
<br />
最初はタカ牧師のミニトーク。<br />
お話の起点は、「福音の再発見」の第4章のゴルフコースのエピソード。<br />
日本での発売直前に行なった、マクナイトとの<a href="http://kingjesusgospeljapan.blogspot.jp/2013/06/blog-post_4919.html">Eメール・インタヴュー</a>でも確認されたことだが、<br />
<blockquote class="tr_bq">
<span style="font-size: large;">・・・その時こう言う順番で調べて行って欲しい。<u>先ずコリント第一の手紙の15章。</u>それか
ら使徒の働きに出てくる説教。それから福音書自体が福音な
のかどうかを問うてみて欲しい。そしてテモテへの手紙第二の2章8節を読んで、そこに言われていることが福音かどうか問うて欲しい。</span></blockquote>
<span style="font-size: small;">新約聖書が語る福音、使徒たちが伝えた福音、をどのように検証するのか。<br />もちろん新約聖書に照らしてその作業をするのだが、マクナイトはその時に相応しい順番がある、と言うわけです。</span><br />
<span style="font-size: small;"><br /></span>
<span style="font-size: small;">本書でもそのように取り扱っていますが、この時のインタヴューでもそのポイントが再確認されました。</span><br />
<span style="font-size: small;"><br /></span>
<span style="font-size: small;">要するにパウロが福音の核心として「伝承された」、イエス・キリストの出来事(ストーリーとも言い換えられる)のクライマックスである</span><br />
<blockquote class="tr_bq">
<span style="font-size: large;">「(十字架による)死」</span><br />
<span style="font-size: large;">「葬り」</span><br />
<span style="font-size: large;">「復活」</span></blockquote>
<span style="font-size: small;">が「聖書に従って」起こった・・・と言うことが最重要なことなのだ。</span><br />
<span style="font-size: small;">そのことを私たちが再確認することから「福音の再発見」は始められるべきだ・・・と言うのがマクナイトの最も言わんとしている事である。</span><br />
<br />
<span style="font-size: small;">・・・そんなことをタカ牧師自らの「気付きの体験」を交えながら話し始めました。</span><br />
<span style="font-size: small;">(当日録音したテープを聴き直してみたところ、</span><span style="font-size: small;"><span style="font-size: large;">「聖書に従って」起こった</span><span style="font-size: small;">・・・という</span>部分は残念ながら抜けていました。) </span><br />
<span style="font-size: small;"><br /></span>
<span style="font-size: small;">Ⅰコリント15章を読み始めようとしたところで、</span>Hさん到着。<br />
<br />
ミニトークを要約すると、<span style="font-size: small;">Ⅰコリント15章での福音の核心部分は歴史的に起こった「出来事性」にある。福音派が「救いのメッセージ」に要約する「私たちの罪を赦すために身代わりになって死なれた・・・」というイエスの死の出来事の「救済論解釈・意味づけ」が福音の中核として伝承されたのではない、と言うこと。</span><br />
<span style="font-size: small;"><br /></span>
<span style="font-size: small;">「初めが肝心」と言うことは、この順序「先ず出来事があり、しかる後にその救済的意義が深められて行った」と言う<u>順序の後先</u>が逆になってはならない・・・と言うのがタカ牧師のミニトークのポイントでした。</span><br />
<span style="font-size: small;"><br /></span>
<span style="font-size: small;">その後フリートークとなったのですが、何かの拍子に「イエスの復活」の話題が持ち上がり、</span><br />
<blockquote class="tr_bq">
<span style="font-size: small;">「死後遺体はどうなったんですかねー」</span><br />
<span style="font-size: small;">「遺体はどうなったか分からないけど、とにかく天に挙げられたわけでしょ」</span><br />
<span style="font-size: small;">「教会学校ではイエスは私たちの心に(復活して)生きている、みたいに教えているみたいですねー」</span></blockquote>
<span style="font-size: small;">等々、何とも「イエスの復活」についての使徒的福音が、一部の教会の教えでは骨なしになっている様子が浮き彫りになってきたわけでした。</span><br />
<br />
<span style="font-size: small;">それでひとしきり「イエスの復活」の事実性を、「キリスト教会成立」の根本要件として説明する長い話に相成りました。</span><br />
<br />
以上がイベントの報告です。<br />
<br />期待より少ない参加者でしたが、暑い中お越しくださったWさん、Hさん、ありがとうございました。<br />会場の用意や、眠気覚ましのアイスクリームを提供してくれたミーちゃんはーチャンさんのご労にも感謝。<br />
<br />
今度は東京は巣鴨(つまりはタカ牧師のホームグラウンド)で、8月25日、午後2-4時、開催しまーす。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-40033824227306902162013-08-16T21:25:00.002+09:002013-08-16T21:25:37.871+09:00ある読者からの疑問去る8月11日(日)に、神戸三宮で持たれた<br />
<blockquote class="tr_bq">
「福音の再発見」ファン感謝デー</blockquote>
<br />
の報告はまた後日することとして、<br />
今回はブログではなく<u>SNS</u>から入手した「読者の反応」と言うことで取上げさせて頂きます。<br />
<br />
疑問その①「簒奪」<br />
先ず、長くなりますが、コメントを引用させて頂きます。<br />
<blockquote class="tr_bq">
<span class="null">「この世界を、神に代わって治めること」(210頁)の「世界」というのは被造物全体、被造物同士の関係というふうに理解しました。<br />
動植物を含む自然環境、自分の身体、他人の身体、それら同士の関係。<br />
「治める」というのは<u>管理する</u>というふうに理解しました。<br />
<br />
「この世における神の支配を簒奪し」(211頁)の簒奪は「世界」を<u>自分の所有物のようにあつかう</u>というふうに理解しました。<br />
<br />
管理を任され
ていた管理人が、任されていた土地や家屋などの物件を台無しにしたり勝手に売り払ったりするというイメージ、自分の身体を傷つけたり自殺したり、他人の身体を傷つけたり殺したり、人間同士の関係を破壊したり、自然環境との共存を拒否してそれをねじ伏せるようなイメージ。筆者自身はどんなイメージで、治めるとか、簒奪とかいうことばを使っていたんでしょうか。</span></blockquote>
<span class="null"></span><br />
「簒奪」「簒奪者」は英語では、"usurp" "usurper"の訳語で、校正の時も含めて適訳がないか、色々と迷った語の一つです。<br />
<br />
最初から「大きな話」になって恐縮ですが、マクナイトは「王なるイエス」を、創世記から始まる「エイコン(神の像)」の任務の引継ぎストーリー(アダム→アブラハム→ダビデ)を完成するお方として提示するのが『福音』だ、と言っているのだと思います。<br />
<br />
そうすると、<span class="null">「この世における神の支配を簒奪し」(211頁)の簒奪は、アダムがエイコンとして、神の代理者・代理王として非常に高い位置に置かれていながら、神ご自身の権威を奪い取ると言う、かなり倒錯的な反逆行為を行なった、と言うことであり、単に道徳的に逸脱したとか、命令に違反したとかのレベルの話ではない、と言うことを指摘しようとしているのだと思います。</span><br />
<br />
<span class="null">ですから、「王なるイエス」の福音は、</span><span class="null"><span class="null"><span class="null">イエスが真の「神のエイコン</span><span class="null"><span class="null">(神の像)</span>」</span>となられ</span>ることによって、そのとてつもない罪の解決者として提示される</span>ストーリーなのだ、となるわけです。<br />
<br />
その神学的ストーリー構成を、ピリピ2:6-11、コロサイ1:15-20、Ⅱコリント3:18-4:6に見ることができる、と指摘しています。<br />
<br />
疑問その②「<span class="null">gospelか、それともgospelsという複数形か、の話</span>」<br />
先ず、また、コメントを引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
<span class="null"><span class="null">112頁に出てくるgospelかgospelsかという複数形の話について。言いたいことはよくわかりますが、
ここまでわざわざ福音は複数ではないと言わなければならないのか、理解に苦しむとまでは言いませんが不思議な気がします。「四福音書」という日本語を見て、福音が複数あるなどとは誰も考えません。ただ福音書が4つあるんだなと思うだけです。「単複両用形」が欠如した言語を使っているからこそ生じるこだわりなんでしょうね。</span></span></blockquote>
<span class="null"></span><br />
<span class="null">この問題は、「福音」を私たちが理解する場合陥りやすい誤解に関連しているだけでなく、「福音」はそもそも一つだ、と言う確信に遡る重要な問題だと思います。</span><br />
<br />
<span class="null">と言うわけで、</span><span class="null"><span class="null"><span class="null">「単複両用形」に関する</span></span>彼我の言語の違いから来る問題ではないと言えるでしょう。</span><br />
<br />
<span class="null">既にこの本でも論議されている「イエスの福音」と「パウロの福音」との相違が果たしてあるのか、と言う問題が出ています。</span><br />
<br />
<span class="null">さらに現在の読者は「福音書」があたかも「文学ジャンル」として存在していたような印象を受け取りやすい、と言う問題もあります。(四福音書にはもともと「福音書」などと言う定義は含まれていません。マルコの冒頭にある「福音」もタイトルを表すかどうかは議論されています。)</span><br />
<br />
<span class="null">マクナイトはここでは議論に含めていませんが、現在の新約聖書学には「トマスの福音書」や他の「福音書」も、キリスト教の多様な表現として認められるべきだ、と言う議論があります。</span><br />
<br />
<span class="null">四福音書が複数の福音書ではなく、異なる、匿名の著者による、「一つの福音」として認識されることはかなり重要な神学的認識・判断を含むものだ、と言うことだけ指摘しておいた方がいいでしょう。</span><br />
<br />
<span class="null">Ⅰコリント15章の「福音」は、使徒たちによって「伝承された福音である」という時、それが真正性が担保されたものであることを示唆するものであり、使徒たち以外から伝えられた「異なる福音」に対する規準ともなるわけです。</span><br />
<br />
<span class="null">その意味で単数形で言及される「福音」は文書化される前も後も重要なポイントだと言うことをマクナイトは指摘しようとしているのだろうと思います。 </span><br />
<span class="null"> </span> Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-71828811174043540582013-08-05T21:38:00.000+09:002013-08-05T21:38:56.695+09:00マクナイトのサイン付き「福音の再発見」つい先日までスコット・マクナイト教授はカナダはバンクーバーにあるリージェント・カレッジの夏季学校の講師をしていたようだ。<br />
<br />
バンクーバー在住のI・Aさんが、スコット・マクナイト教授に「福音の再発見」にサインしてもらったのをツィッターで紹介している。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://pbs.twimg.com/media/BQroCi3CYAAQqCQ.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="238" src="https://pbs.twimg.com/media/BQroCi3CYAAQqCQ.jpg" width="320" /></a></div>
<br />
なかなか達筆なのかもしれないが、やはりハンドライティングというのは読みにくい。<br />
<br />
サインの下に何やら聖書箇所の引用があるようだが、12:29-31は分かるが、どの聖書かが分からない。<br />
<br />
うまいことにミーちゃんはーちゃんが確実に回答してくれた。<br />
<br />
<span style="font-size: large;">ジーザス・クリード</span>のスコット・マクナイトでしょ。<br />
そうしたらマルコじゃないですか・・・。<br />
<br />
<blockquote class="tr_bq">
<span style="font-size: large;">イエスはお答えになった。</span><br />
<span style="font-size: large;">「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』</span><br />
<span style="font-size: large;"> 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」 </span></blockquote>
<br />
そりゃそうだわ。<br />
言われて見れば確かにMkに見えるは・・・。 Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-48253151410246413532013-08-03T07:10:00.000+09:002013-08-03T07:10:20.709+09:00発売後の反応⑧タカ牧師です。<br /><br />「大和郷にある教会」ブログの方で、<a href="http://sugamo-seisen.blogspot.jp/2013/07/5_31.html">某読書会</a>レポートを書いた。<br /><br />
その晩の読書会の冒頭、6月24日に東京ミッション研究所共催で持たれた学びでの講師、<a href="http://jpnews.org/pc/modules/piCal01/?cid=0&smode=Weekly&action=View&event_id=0000008511&caldate=2013-6-29">トーマス・ヨーダー・ニューフェルド</a>のことを耳にした。<br />
<br />
そんな絡みで、今回の「福音の再発見」読者の反応はこれ。<br /><br />
<a href="http://tuchiyamach.blog.fc2.com/blog-entry-78.html">あるメノナイトの救い理解</a>という記事。<br /><br />2013年7月3日 福音聖書神学校・公開講座での、トーマス・ヨーダー・ニューフェルドの講演がまとめられているが、そこに「福音の再発見」との絡みで次のように言われている。<br />
<blockquote class="tr_bq">
<span style="font-size: large;">そこで<u>スコット・マクナイト「救いの再発見」と並行する「福音」に関する新約聖書学的アプローチ</u>を見ておられるようだ。</span><br />
<span style="font-size: large;">今回は、メノナイトからの「救い」理解について語ってくださいました。</span><br />
<span style="font-size: large;">スコット・マクナイトの「福音の再発見」という本が出て話題になっていますが、講演の内容も、同じように、<u>福音書からの福音の提示・パウロ書簡の義、信仰という単語理解の修正という流れに従うものです。</u></span><br />
<span style="font-size: large;">メノナイトらしく、(そして、私に言わせれば聖書に忠実に)和解を中心に組み込んだ、包括的な救い理解を語ってくださいました。</span> </blockquote>
とのことです。<br />
<br />
マクナイトはバプテストの出身ながら、今はかなりアナバプテスト的神学になっているようだ。<br />
特に「福音の再発見」でも言われているように「イエスに従う(弟子化)」ことが福音と直結した課題であることを強調している。<br />
<br />
どちらにしても、マクナイトも、ニューフェルドも、「救い派」のような矮小化された福音理解から、より包括的な福音理解へと、新約聖書の聖書神学的解説を行なったのであろう。<br /><br />
残念ながら、東京聖書学院(日本ホーリネス教団)は東村山にあり、度々東京ミッション研究所(不思議なことに依然として独自のHPを持っていない)から講演会の案内を頂くのだが、なかなか足が向かないのである。<br />
<br />
今回はどうもミスしたようだ。 <br />
<br />Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-75201267902520728442013-07-26T22:12:00.002+09:002013-07-26T22:12:44.472+09:00発売後の反応⑦タカ牧師です。<br />
<br />
またまた一週間位開いてしまいました。<br />
<br />
さすがに「福音の再発見」も重刷になったとは言え、その後の反応は最初の頃よりは目立たなくなってきました。<br />
<br />
しかし全然ないわけではなく、(販元のキリスト新聞担当者から聞いたところによりますと)その後も全国各書店で順調に売れているようですので、まだ待っていれば「読者の反応」は出てくることと期待します。<br />
<br />
今回紹介するのは「福音の再発見」に付けられたサブタイトル『なぜ“救われた”人たちが教会を去ってしまうのか』に関心を持たれた方の反応です。<br />
<br />
①通称OZさんの<span style="font-size: large;"><a href="http://blog.goo.ne.jp/iambarabbas/e/b9781713ddb022c5c9f707cce94a5b9a">Who Am I</a></span>ブログから <br />
<blockquote class="tr_bq">
<span style="font-size: large;">人の魂の救いにとにかくこだわり、彼は既に救われているか、まだ救われていないかに第一の関心を寄せながら伝道、弟子訓練しているような俺みたいなへんてこりんな奴にはこの本は<u>非常に非常にいい意味で一石を投じます</u>。牧師先生方に読んでもらって<u>感想を聞きたい本第一候補</u>。お勧めです!!</span></blockquote>
と言うことですので、「牧師先生方」どうぞ読んでおられない方がおりましたら是非どうぞ。<br />
<br />
また信徒の方でお読みになった方で、ご自分の教会の牧師さんがこの本をお読みになっていないようでしたら、それとなく「『福音の再発見』読まれているみたいですね」、と誘い水を掛けていただければ幸いです。<br />
<br />
ちなみにタカ牧師の教会グループでも先日牧師会がありましたが、(タカ牧師を除いて)集まった6人のうち4人が既に購入して読んだか、読書中か、購入しました。 <br />
<br />
②細野英朋さんの<span style="font-size: large;"><a href="http://h12o.blessedgeeks.jp/2013/06/the-king-jesus-gospel-the-original-good-news-revisited-1.html">『福音の再発見』出版記念インストアートークイベント参加記</a></span><br />
<blockquote class="tr_bq">
<span style="font-size: large;">「なぜ"救われた"人たちが教会を去ってしまうのか」を私なりにとてもおおざっぱに書くと、このようになります。</span></blockquote>
<br />
<blockquote class="tr_bq">
<span style="font-size: large;">キリスト教の「福音派」はいつしか、<i>信徒を増やすことだけにフォーカスするようになりました。興味を惹くことで信徒を増やす動きは、興味が尽きた信徒をつなぎとめられないという結果を生み出しました。</i>「な
ぜ"救われた"人たちが教会を去ってしまうのか」、それは興味を惹く手法を追いかけ、「救い」を粉飾したことにあるのかもしれません。ちなみに本書では、
このことを「『救い』が『福音』を乗っ取った」と表現しており、宗教改革以降、だんだんと「救い」が「福音」を乗っ取ったのだと主張しています。</span></blockquote>
細野さんはこれに続けて「伝道と社会的責任」と言う大事なテーマについても考察していますので是非お読みください。<br />
<br />
今日たまたま、Facebook上で、ある方が「福音の再発見」での聖書引用が「新改訳聖書第3版」であるのに、そのことが明記されていない、とコメントしているのに接しました。<br /><br />これは最終校正にちょっと加わっていたタカ牧師としても残念なミスです。<br />読者の方々には大分後からになって申し訳ありませんが、この場を借りてお詫び申し上げます。<br />
<br />
幸い第2刷の方では既に改められています。(このページの一番上の行にそのことが明記されております。)<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://fbcdn-sphotos-g-a.akamaihd.net/hphotos-ak-frc1/995678_633199923356734_1137032628_n.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="640" src="https://fbcdn-sphotos-g-a.akamaihd.net/hphotos-ak-frc1/995678_633199923356734_1137032628_n.jpg" width="467" /></a></div>
<br />と言うわけで、なお「福音の再発見」宜しかったらまだ知らない方にお勧めください。<br />
<br />
ではまた「読者の反応」探してみます。<br />
<br />Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-34964521395801528152013-07-19T21:49:00.000+09:002013-07-19T21:49:33.931+09:00「福音の再発見」ファン感謝デー・東京編<span style="font-size: large;">タカ牧師です。<br /><br />こまめに「読者の反応」を拾っておりましたら、拾ったブログ主が逆に本サイトを<a href="http://blog.kiyoshimizutani.com/?day=20130719">紹介</a>してくださいました。</span><br />
<span style="font-size: large;">何しろキリスト教ブログとしては最大とも思える<a href="http://blog.kiyoshimizutani.com/">命と性の日記</a>ブログです。</span><br />
<span style="font-size: large;"><br /></span>
<span style="font-size: large;">アクセス急上昇に乗じて広告させて頂きます。</span><br />
<span style="font-size: large;">(と言うのもイマイチPRの手応えが無く、イベントが成立するかどうか心配なのであります。)</span><br />
<br />
<h5 class="uiStreamMessage userContentWrapper" data-ft="{"type":1,"tn":"K"}">
<span style="font-size: large;"><span class="messageBody" data-ft="{"type":3}"><span class="userContent"><span>※「福音の<span style="color: red;">再</span>発見ファン感謝</span><wbr></wbr><span class="word_break"></span><span>デー・神戸三宮編」の案内は・・・</span></span></span><a href="http://kingjesusgospeljapan.blogspot.jp/2013/07/8811-7-2-1.html">こちら</a></span></h5>
<span style="font-size: large;">では</span><span style="font-size: x-large;">「福音の<span style="color: red;">再</span>発見」ファン感謝デー・東京編</span><span style="font-size: large;">のご紹介をば・・・</span><br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiXda-6BoYaYU5PB1CHO9GFr3fRZY3crPQPpv5Lm6FvaelwdWhKXE_ckZLspfwBbtCbhX5rbkacQjFfSvMO2amuuvCFcBigws4A0o4Akgq6s7MwBM_MrsO24k9pQMLD0ghKpN3R6F1LXtw/s1600/Kassui01.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="212" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiXda-6BoYaYU5PB1CHO9GFr3fRZY3crPQPpv5Lm6FvaelwdWhKXE_ckZLspfwBbtCbhX5rbkacQjFfSvMO2amuuvCFcBigws4A0o4Akgq6s7MwBM_MrsO24k9pQMLD0ghKpN3R6F1LXtw/s320/Kassui01.jpg" width="320" /></a></div>
<span style="font-size: large;"><br /></span>
<span style="font-size: large;"><b>と き:</b> <b>2013年8月25日</b>(<b><span style="color: red;">日</span></b>)午後2-4時(時間中出入り自由)</span><br />
<span style="font-size: large;"></span>
<span style="font-size: large;"><b>ところ:</b> 木工房活水・ティールーム(7-8名)</span><br />
<span style="font-size: large;"> ※巣鴨聖泉キリスト教会隣接</span><br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjScAiYiclYK-t-5rgr9dTDJ3LI7ENOz05N_jNU4PSALz67IQeaCLPZyKlsfugF7pouZSwDq4Aq2XCCOaJpBUrFDvlbPb7dZJ3CN6BGw8W9x2RnG0aVdB6KkmUXjLvSkMQvJaYYOPlk_jk/s1600/Kassui02.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="212" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjScAiYiclYK-t-5rgr9dTDJ3LI7ENOz05N_jNU4PSALz67IQeaCLPZyKlsfugF7pouZSwDq4Aq2XCCOaJpBUrFDvlbPb7dZJ3CN6BGw8W9x2RnG0aVdB6KkmUXjLvSkMQvJaYYOPlk_jk/s320/Kassui02.jpg" width="320" /></a></div>
<span style="font-size: large;"><br />
<b>アクセス(地図・経路)</b></span><span style="font-size: large;"><span style="font-size: large;"><b>:</b></span><a href="http://www010.upp.so-net.ne.jp/Sugamo-Seisen/access.htm" target="_blank">こちら</a>をクリック。 <span style="background-color: white; color: #222222; font-family: arial,sans-serif;"></span><a href="http://www010.upp.so-net.ne.jp/Sugamo-Seisen/access.htm" style="background-color: white; color: #1155cc; font-family: arial,sans-serif;" target="_blank"><wbr></wbr><wbr></wbr></a><span style="background-color: white; color: #222222; font-family: arial,sans-serif;"></span></span><br />
<span style="font-size: large;"></span>
<span style="font-size: large;"><b>なにするの:</b>タカ牧師のミニトーク</span><br />
<span style="font-size: large;"><b> 「</b><span style="font-size: small;">『福音の<span style="color: red;">再</span>発見』で大事なのは</span>『どこから始めるか』<span style="font-size: small;">です。</span>」</span><span style="font-size: large;"><b>お茶飲み話</b><b>:</b>その後はお茶を飲みながら自由にチャットチャット</span><br />
<span style="font-size: large;"> (<b>福音の<span style="color: red;">再</span>発見</b>から話題が外れても気にしない気にしない。自由にトーク。)<br /><b>参加費:</b>一人500円(お茶とお菓子の用意があります) <br />
<b>お問合せ:</b>sugamo_seisen*yahoo.co.jp</span><br />
<span style="font-size: large;"><span class="gI"> (*マークを半角の@に変換してください)</span> <br />
<b>電 話:</b>03-3946-8035(当日・直前は、携帯080-5180-8035)</span><br />
<span style="font-size: large;"> ※どちらもコジマが出ます。<br />
</span><br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<span style="font-size: large;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjqSAx-sZFH1SzcWtLX50XuqPr9z8nrzTHnerp1S01Yojd95oPrbiMnpxf5hkzPo_N2lvVgo6svG_YEvKELVWZBsdx0tsRWeSJvCjjed9GDfg712QTCuQN4Rg4e3cLB4ztkh1SSKlHCWGA/s1600/Kassui03.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="217" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjqSAx-sZFH1SzcWtLX50XuqPr9z8nrzTHnerp1S01Yojd95oPrbiMnpxf5hkzPo_N2lvVgo6svG_YEvKELVWZBsdx0tsRWeSJvCjjed9GDfg712QTCuQN4Rg4e3cLB4ztkh1SSKlHCWGA/s320/Kassui03.jpg" width="320" /></a></span></div>
<span style="font-size: large;"> <br />
※なお準備の関係もございますので、前日までに「出席します」と一声お名前とともに<u>メールで</u>お知らせいただけると誠に助かります。</span><span style="font-size: large;">(メールの場合、お名前の読み方をカナ表記でお願いします)</span><br />
<span style="font-size: large;">ご無理な方はお電話にて承ります。</span>Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-83476522345221897482013-07-19T21:11:00.002+09:002013-07-20T06:30:31.754+09:00福音の再発見ファン感謝デー・関西編(神戸三宮)ミーちゃんはーちゃんでございます。<br />
<br />
暑い日が続いておりますが、皆様 つつがなしや?<br />
<br />
さて、8月の暑いさなか(8月11日目前、彼岸の入り)でありますが、神戸の三宮で、「<b>福音の<span style="color: red;">再</span>発見</b>」、ファン感謝デーを開催できることになりました。<br />
<br />
ファン感謝デーなのに料金を取るのは・・・(この辺、関西は渋いですから)ということもありますので、ファン感謝デー、ご参加<span style="color: red;"><span style="font-size: large;"><b>無料大解放デー</b></span></span>(と言ってもスペースの関係からいって、先着7名様限りになりそうですが)を開催いたしたく思います。<br />
<br />
日曜日の午後の出にくい時間ではありますが、開催いたしますので、エアコンの効いたお部屋で、冷たいものなどを食しながら(と言っても豪華なケーキ類などは出せませんが)、あーでもない、こーでもないと2時間ほどフリートークというかディスカッションをしていろいろご教示いただければ、と存じます。<br />
<br />
会場の関係で受け入れ人数に上限がございますので、事前にお申し込みの方を優先的にお受けしたいと思います。<br />
<br />
<span style="font-size: medium;"><b>開催会場および時間</b></span><br />
<span style="font-size: medium;"><b>1. 神戸三宮の集い</b></span><br />
<b>とき:</b> <b>2013年8月11日</b>(<b><span style="color: red;">日</span></b>)午後2-4時(時間中出入り自由)<br />
<b>ところ: </b>神戸市勤労会館 応接会議室 (10名) <br />
<b>スコット・マクナイト研究会</b> 名義<br />
<br />
神戸市勤労会館は<a href="http://www.kobe-kinrou.jp/shisetsu/kinroukaikan/index.html" target="_blank">こちら</a><br />
(<a href="http://www.kobe-kinrou.jp/shisetsu/kinroukaikan/index.html" target="_blank">http://www.kobe-kinrou.jp/shisetsu/kinroukaikan/index.html</a>)<br />
ミント神戸の東、サンパルの南、中央区役所の隣(三ノ宮駅から徒歩5分)<br />
<b><br /><br /> <span style="font-size: large;">なにするの:</span></b><span style="font-size: large;"> </span><br />
<b>ミニトーク</b>::巣鴨聖泉キリスト教会の<span style="font-size: large;"><b>タカ牧師</b></span>、<br />
タイトル「福音の再発見」で大事なのは「どこから始めるか」です。<br />
<br />
ホスト :ミーちゃんはーちゃん<br />
<br />
<b>お茶飲み話</b> <br />
その後はお茶を飲みながら自由にフリートーク<br />
(<span style="font-size: large;"><b>福音の<span style="color: red;">再</span>発見</b></span>関連のお茶飲み話)<br />
お茶と紙コップ類、簡単な冷菓をこちらで用意します。<br />
<br />
※参加費 一応<span style="color: red;"><span style="font-size: x-large;"><b>無料</b></span></span> + 自由献金(箱入れ形式)<br />
※お問合せ <span class="gI">kawamukaihajime*gmail.com </span><br />
<span class="gI"> (*マークを半角の@に変えてください)</span><br />
<span class="gI"> TEL 090-1246-7027 (かわむかい)<br /><br />ご参加希望の方はお早めに、メールでご連絡いただけると嬉しいかと。<br /><br />ご無理な方はお電話で。</span>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/03156714145271634992noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-31172439105751877582013-07-19T11:30:00.002+09:002013-07-19T11:41:34.541+09:00えっ、福音の再発見の原書がキンドルでただ!<span style="font-size: large;">スコット・マクナイト「福音の再発見」は原書では<br />The King Jesus Gospel</span><br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<span style="font-size: large;"><a href="http://ec2.images-amazon.com/images/I/51dzU7SUX8L._AA278_PIkin4,BottomRight,-39,22_AA300_SH20_OU09_.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://ec2.images-amazon.com/images/I/51dzU7SUX8L._AA278_PIkin4,BottomRight,-39,22_AA300_SH20_OU09_.jpg" /></a></span></div>
<span style="font-size: large;">ですが、どう言うわけかAmazon.co.jpサイトで、この原書の「キンドル版」がただで手に入るようです。</span><br />
<span style="font-size: large;"><br /><span style="font-size: x-large;">リンクは<a href="http://www.amazon.co.jp/The-King-Jesus-Gospel-ebook/dp/B005IOZUDA/ref=tmm_kin_title_0">こちら</a></span></span><br />
<br />
<span style="font-size: large;">情報を流してくださった小島牧師に感謝!</span><br />
<br />
<blockquote class="twitter-tweet">
スコット・マクナイト『福音の再発見』の原書を見てみたいと思ってアマゾンのKindleストアを覗いてみたら、何と無料(¥0)でした ^^ うれしいけど、何だか申し訳ない気もします。ほんとにタダでいいの?と思いつつ、もちろん早速ダウンロードしました ^^;<br />
— 小島 聡 (@chissonosuke) <a href="https://twitter.com/chissonosuke/statuses/357990315673653249">July 18, 2013</a></blockquote>
<script async="" charset="utf-8" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-12197762499401625942013-07-15T13:26:00.000+09:002013-07-15T13:26:16.162+09:00発売後の反応⑥さてしばらく開いてしまいました、タカ牧師です。<br />
<br />
ちょっとツイッターのTLから拾ってみました。<br />
<br />
<blockquote class="twitter-tweet">
キリスト教書店では、大嶋重徳著「おかんとボクの信仰継承」、M・エスコバル著「教皇フランシスコ」、S・マクナイト「福音の再発見」を購入しました。<br />
— 松田基教 (@moto_matsu) <a href="https://twitter.com/moto_matsu/statuses/354874991533232128">July 10, 2013</a></blockquote>
<script async="" charset="utf-8" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>松田牧師はタカ牧師が、いきなり「高松でおいしいうどん屋さん紹介して」みたいなツイートをいきなり投げたのに、ご丁寧に地元のお店を紹介してくれた親切な方です。<br />
本も良く買っておられるようです。<br />
<br />
願わくは「福音の再発見」が松田牧師のお眼鏡に適うものとなると良いのですが。<br />
松田牧師は日本キリスト改革派高松教会ですから、バプテスト出身、今メノナイト的な神学のスコット・マクナイトの立場にどれ位好感を寄せていただけるか、との心配も無きにしも非ず。 <br />
<br />
<br />
読者の反応と言う話とは少し変わりますが、<span style="font-size: large;"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4873956323/ref=sr_1_1_olp?ie=UTF8&qid=1373855444&sr=8-1&keywords=%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E3%81%AE%E5%86%8D%E7%99%BA%E8%A6%8B&condition=used">Amazon.co.jp</a></span>、ではもう中古品として出ていますね。<br />
しかもお値段が、3,972円よりとあります。<br />
さらに「コレクター商品」のカテゴリーでは、4,200円よりとあります。<br />
どうなっているんでしょうね・・・。<br />
<br />
そう言えば、教文館の(キリスト教書籍)「月間売り上げ<span style="font-size: large;"><a href="http://www.kyobunkwan.co.jp/xbook/ch_best20">ベスト20</a></span>」では、5月に続いて、6月も「第1位」となっています。<br />
読者の皆様の熱い御支持の賜物、と深く感謝するしだいであります。<br />
<br />
さて既に一度ご紹介くださった、「命と性の日記」の水谷先生が再度、<span style="font-size: large;"><a href="http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3570">福音の再発見ーー黒船来航すれども開港せず</a></span>、でその意義を評価してくださっています。<br />
<blockquote class="tr_bq">
この書物を読んで、「福音派は<b>おかしい</b>」とか「福音派は<b>ダメ</b>」とか(聖霊派も含めた広義の)福音派に属する者が、反応するのは、違うだろうということです。G先生のご指摘のように、この書物は福音理解について、私たちを真摯に<b>聖書と歴史と文化に向き合わせる</b>と言う意味で、やはり黒船だと思うのです。ショッキングな方法で、自分の福音理解に安住する者に、目を覚まさせる書物なのは間違いありません。</blockquote>
「(日本での)発見者」としてそこをご理解いただければ、一つ役割を果たしたかな、と言う感じです。<br />
<br />
<span style="font-size: small;">また</span><span style="font-size: x-small;"><span style="font-size: small;">G先生も、<span style="font-size: large;"><a href="http://spring496.blog.fc2.com/blog-entry-250.html">スコット・マクナイト「福音の再発見」再考</a></span>、と言う記事で再度本書を取り上げてくださり、評価とともにその問題点、殊に日本で(米国でも同様とは思いますが)、いかに「再発見」された福音をまさにゴスペルとして語るのか、と言うことを指摘しておられます。 </span></span><br />
<blockquote class="tr_bq">
<span style="font-size: x-small;"><span style="font-size: small;">私には本書におけるマクナイトの聖書に基づく適用部分を読んでも、今のところまだそれほど明らかではありません。つまり、私としては——牧師としての説教の務めは離れましたが——天地創造から新天新地に至る救いの物語の中にキリストにある全被造物の解放を見ながら、すべてを包む神様の恵みの風呂敷の結び目にリバイバルの伝統におけるキリストの血による個人の罪からの救いをおいて語る以外に、
まだ自分の福音伝道のメッセージを持ち得ません。</span></span></blockquote>
<blockquote class="tr_bq">
<span style="font-size: x-small;"><span style="font-size: small;">すなわち、私のうちにある伝道メッセージは——そして私の生き方は——今も高校生のときにアメリカ人宣教師から最初に聞いた古い福音派の「神ー罪ー救い」というアウトラインにあり、その「救い」の部分にキリストの甦りによる肉体の復活の希望と共同体における新しい人類の完成を含めて、この世におけるクリスチャンの生き方にも関わって「救い」をブロードに解釈して語る、今もそれが基本線です。要するに、私にとって福音は今も基本的には宗教改革の伝統に立つ「古い古い十字架教」(内村鑑三)なのです。</span></span></blockquote>
とのご指摘ですが、恐らくタカ牧師の見方では、マクナイトは再発見された福音の「文化」を問題にしていて、「簡略化された救済論」を「一回の伝道説教で回心を迫る」ようなイメージでは捉えていないように思うのです。<br />
<br />
その点、タカ牧師が「大和郷にある教会」ブログで連載してきた「<span style="font-size: large;"><a href="http://sugamo-seisen.blogspot.jp/2013/06/blog-post_12.html">福音派のパラダイム・シフト</a></span>」とマクナイトのアプローチは通底しているように思います。<br />
<br />
さて今回の「読者の反応」は期せずして「牧師たちの反応」になってしまいました。<br />
その点はあまり変えられないのですが、最後に晴佐久神父(ボット)のツイートで締めくくりましょう。<br />
<br />
<blockquote class="twitter-tweet">
「カトリックとプロテスタント、どこが違うんですか?」ってよく聞かれるけど、「福音においては何も違わない」って、いつもそう答えます。それは理屈ではなく、最近の私の実感なんですよ。・・・「福音においては何も違わない」。<br />
— 晴佐久神父 bot (@Hallelujah800) <a href="https://twitter.com/Hallelujah800/statuses/355827267982733312">July 12, 2013</a></blockquote>
<script async="" charset="utf-8" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script><br />
<br />
<br />
ではまた何かありましたらご紹介いたします。
<br />
<br />ところで、8月11日(日)午後2-4時(神戸・三宮)、そして8月25日(日)午後2-4時(東京・<span style="font-size: large;"><a href="http://sugamo-seisen.blogspot.jp/2013/07/blog-post_12.html">巣鴨</a></span>)の<span style="font-size: large;"><a href="http://kingjesusgospeljapan.blogspot.jp/2013/07/blog-post_11.html">福音の再発見読者感謝デー</a></span>トークバック・セッション、皆さん是非いらしてくださいねー。<br />心よりお待ちしています。Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-14851724705939030282013-07-13T07:10:00.003+09:002013-07-13T10:48:52.143+09:00福音の再発見のタイトルにしたわけ(2) 前回に引き続き、このタイトルにしたわけをご説明したいと思います。<br />
<br />
<span style="color: red;"><b><br /></b></span>
<span style="color: red;"><b>なぜ、福音の再発見というタイトルにしたか?</b></span><br />
<span style="color: red;"><b>幻のタイトル案たち</b></span><br />
<br />
この本の企画段階では、お世話になった皆様方(Taka先生、訳者の中村様、キリスト新聞社の担当の方お二人、そしてミーちゃんはーちゃん)から、さまざまなタイトル案が出ました。一部をお示しすると、こんな感じです。<br />
<br />
<ul>
<li>福音ってなんだ?-教会文化の再構築に向けて</li>
<li>「福音ってなんだ?-土台から見直す教会文化」</li>
<li>「福音」を問い直す</li>
<li>それって「福音」?</li>
<li>ホントの『福音』ってなんだっけ?―ペテロやパウロが語りたかった『福音』―</li>
<li>『福音』ってなんだっけ?―ペテロやパウロが語りたかった『福音』―</li>
<li>その「福音」理解、間違っていませんか?</li>
<li>目からウロコの「福音」指南</li>
<li>福音とは何か ーイエスと使徒たちの福音ー</li>
<li>イエスが教えた福音</li>
<li>イエスが伝えた福音</li>
<li>福音ってなんだ?-土台から見直す教会文化</li>
<li>福音ってなんだ?-教会文化の基礎工事</li>
<li>『福音』の歩き方 ―ペテロやパウロの語った『福音』―</li>
</ul>
でこの中には、肝心の「<b>福音の<span style="color: red;">再</span>発見</b>」という語が出てこない。(パクリ系のお茶らけ案は、そう、ミーちゃんはーちゃんです)<br />
<br />
そうなんです。それだけ、この本のタイトルには関係者一同悩みました。訳してくださった中村様、そしてミーちゃんはーちゃんに与えたインパクトを失わないようにするタイトルでありながら、本当にイエスが死を賭して語り、パウロやペテロが必死になって伝えようとした『福音』とは何か、福音の民として生きること、すなわち『福音』という生きる姿を示すようなタイトル、そして、人を小馬鹿にしたようでない(ウエメセでない)タイトルとは何か、と関係者一同で考えました。邦訳した時の読者は誰になるだろうか、ということを想定しながら。そして、座礁状態に何度もなりながら。<br />
<br />
そして、もう一度、ゾンダーバン社のThe King Jesus Gospel のプロモヴィデオ(これ↓)<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<iframe allowfullscreen='allowfullscreen' webkitallowfullscreen='webkitallowfullscreen' mozallowfullscreen='mozallowfullscreen' width='320' height='266' src='https://www.youtube.com/embed/H6GyjaDhcac?feature=player_embedded' frameborder='0'></iframe></div>
<div>
<br /></div>
<div>
<br /></div>
<div>
を見たのです。(動画の中でしゃべってるオジサマが、著者のマクナイトさん)そこに、我々がRecoveryすべきものという表現がありました。Recoveryは、再生、回収、取戻し、採取、復旧、覚醒、修復、復元、戻ってくること、といった感じの語です。しかし、この動画の日本語字幕の原案をミーちゃんはーちゃんが走りタイプした時に、何の気なしに再発見と書いちゃったんですね。それをTaka牧師が見つけてくださった。拾ってくださった。<br />
<br />
多分、この原案を走りタイプしているときに、キリスト者は福音をどこかで絶対にちらっとでも見ているはずなのに、それに何らかの形でいろいろな事情で見失われてかけられているから、それを見つめなおし、取り戻したら、というくらいの感じで、再発見としたと思うのです。それがあっさりと採用されて、「再発見」が使われることが決まり、もともとのマクナイトが、「The King Jesus Gospel」と言っていることと、<b>『福音』</b>とは何か、ということを再検討することを迫る本でもあったので、「福音の再発見」となったのが、今年の2月末ごろ。もちろん、このタイトルが決まってから、以前に同名の本があったことにそれも指摘されて気づく愚かさ。ありきたりのタイトルの本というそしりは免れませんね。<br />
<br />
段ボールを破ったようなちょっと乱暴な表紙デザインも、本来持っていた<b>福音</b>が段ボール箱の中にしまいこまれているなら、箱の外側を破って取り出したら、っていう風にデザイナーの方が理解してくれたと思うんです。この辺、直接聞いてないんで、何とも言えないですが。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
上記映像の中盤辺りに引っ越しのため、箱詰めしている大学生風の若者がでてきますが、あの段ボール箱のなかにしまいこんだのが「福音」だとデザイナーの方はご理解いただいたのかもしれません。日本では、会社勤めや仕事を始めて会社や仕事場という現場に出場するうちに段ボールの箱に思い出とか、懐かしのおもちゃや本と一緒に「<b>福音</b>」をつめちゃうのかもしれませんが。<br />
<br />
<span style="color: red;"><b>誰のための本か?</b></span><br />
<b>『福音』</b>に今すでに生きている人たちには、本来必要ない本のはずなんです。ミーちゃんはーちゃん個人としては、悩んでいる信徒さんに読んでほしい本なんです。特に経験がなく悩んでいる若いキリスト者の方に。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
お一人様クリスチャン、教会に生きながらも、悩み苦しんでいることを言えずに教会の片隅で息をひそめ隠棲するかのごとく生きているクリスチャン、自分はキリスト者としてふさわしくないと思っているクリスチャンたち、ローンレンジャーのように教会を離れ、一人で生きるしかないと思っている、いや思い込んでいるクリスチャンたちに読んでほしい本なんです。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
本来の生き生きとして、みずみずしい<b>『福音』</b>(福音の民として神とともに生きる生活)を味わってほしい、という思いでの<b>「再発見」</b>でもあるのです。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
従いまして、もう、『福音』を味わっている、『福音』を生きている方には、本来必要ない本なのだと思うのです。牧師先生は、『福音』に生きておられるはずだ、とミーちゃんはーちゃんは確信していたので、「この本を牧師が読むべきだ」ってG先生がお書きになられた時には、「じぇじぇじぇ」と正直驚きました。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
今でも、「イエスは好きだが教会は嫌い」って言われる自称元キリスト者、地図なく荒野や砂漠を歩いているかのようなキリスト者、苦しんでいるキリスト者、教会で砂をかんでいるような経験をしているキリスト者・・・・に、「戻るべきところは、イエスと聖書全体かもね?」ってことをきちんと示している本として、いいなぁ、と思ったのです。それをみんなでいろんな形で味わってもらったら、というのが今のミーちゃんはーちゃんにとっての<b>『福音』</b>です。</div>
<br />
<span style="color: red;"><b>どうしろって言ってない本ですが</b></span><br />
<div>
ただ、この本には具体的方法論は書かれてない。どうしろとは言ってない本です。こうすればうまく行くってことは書いてない本です。水谷先生の最近の記事でいう、成功哲学や成功者としての教会になるための本ではありません。また、これが福音だ、ってこともあんまり言ってない。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
それはお一人お一人が考えること、ということで、マクナイトはわざと書いてないかもしれないのでは、と愚考いたしております。神とともに生きるという『福音』は、神とその人、その周辺の人々とで作り上げていくものであるがゆえに、安直にある方法(メソッド あるいは、<a href="http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3566" target="_blank">水谷潔先生の記事</a>でご指摘しておられるキャリアポルノ本、成功哲学というのか、成功の方法論のようなポルノグラフィー、あるいは偶像)にしないためにも、一人一人が探してね、という感じでその余白として残しているのかなぁ、と善意に解釈しております。マクナイト本人に聞いたわけでないので、確かではありませんが。<br />
<br />
<span style="color: red;"><b>いろんな福音</b></span><br />
神の民として生きる人が100万人いれば、100万通りの『福音(神の民としての生き方とその結果)』があるはずだと思うのです。それを限られた方法で示してしまうことには、しょせん無理があるのだと思いますし、いちいち記載したのでは、紙幅は足らないと愚考します。<br />
<br />
この本の226ページの第2パラグラフにはこのことについて、以下のように書かれています。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
<blockquote class="tr_bq">
「福音とは、イエスの救いの物語の中において完成されるイスラエルの物語であり、その物語は、この世において神の民の中で働いておられる神の業についての物語である」。福音の文化を生み出すために、この福音を自分のものとして受け止めるとは、聖書の物語を神の民についての物語として受け止めることなのである。教会を、その醜い部分も含めてすべて、神の民として受け入れるのである。福音の文化は教会の文化である。そしてそれは、人々が共に造り変えられていく教会の文化である。先に述べたような問題に、共に取り組むことで福音の文化へと変えられていく、教会の文化である。</blockquote>
</div>
<div>
つまり、黙然と神の民として生きることも『福音』であり、『福音』を宣言することであり、『福音』を紡ぎだしていくことだと言うご主張だ、思うのです。その物語を紡ぎだし、宣言する側の人間あるいはキリスト者としての誤りや醜さを含めて。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
<b><span style="color: red;">息をしているだけでも福音かも</span></b></div>
<div>
それだけ、『福音』って手短に語れるものでなく、味わうものかも、実現しているもの、ということなのかもしれないと愚考します。誤解を恐れず言えば、「キリスト者として、神と共に息をしていること」、「キリスト者として病床でも息をしていること」、「さまざまな事情からとはいえ、教会にもいけないけれども、神を見つめようとするキリスト者としてこの地上で息をしていること」すら『福音』だとマクナイトが言っているように愚考・誤解・誤読してしまったのです。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
イエスが生きている、イエスが生きた、それを声を出して公言するか、説教するか、讃美歌を人々ともに歌うか、人にさまざまな方法で仕えるか、献身するか、痛む人、困っている人ともに生きるか、それぞれの方法は別として、それぞれの方法で、「イエスが生きていること、神が自分と共に生きていることを日々確認<b>(再発見)</b>できれば、それはそれでいいんじゃない?自分自身の『福音』をご自身で見つけてごらん?」という部分が<b>再発見</b>の意味だと愚考いたします。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
水谷先生は、先生の『福音』をすでにお持ちで、日々再発見しておられるのでは、と拝察いたしております。だからこそ、再発見がお分かりになりにくかったんだと思います。<br />
<br />
ただ、何人かのキリスト者とお話しするうちに、『福音』にいろんなものがかかっていて、迷っているような事例も見聞きいたしましたので、ミーちゃんはーちゃんは、そういう方に「あなたたちは持っているはずだし、どっかで見失ったのだったら、あるいは、段ボール箱に詰めちゃってどこ行ったかわかんなくなったら、それを探して、そしてそれを大事に神と共に生きてくださいね」、「一緒に<b>毎日再発見しませうず</b>」って言いたいだけなんですよ。</div>
<div>
<br />
<br />
できるだけ、一般信徒の方に分かることばで、ミーちゃんはーちゃんがこの本読みながら思った<b>『再発見』</b>と<b>『福音』</b>について、お話しいたしましたつもりでございます。水谷先生、そして皆様のご期待に添えていると嬉しいのですが。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
ミーちゃんはーちゃんより</div>
Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/03156714145271634992noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3258181558246558210.post-81736309510615752242013-07-12T20:20:00.000+09:002013-07-13T05:32:10.321+09:00福音の再発見のタイトルにしたわけ(1)ミーちゃんはーちゃんです。長くなるので、2回に分けようかと思います。ミーちゃんはーちゃんは一介の平信徒にすぎませんので、まだ、一般の方々のお気持ちに添える形でご説明しやすいかと思い、書いてみることにします。長い、くどい、というは承知しておりますが。<br />
<br />
<b><span style="color: red;">こころから御礼申し上げます</span></b><br />
水谷先生、「<b>福音の<span style="color: red;">再</span>発見</b>」をブログ記事として、何度もお取り上げいただき、心から御礼申し上げます。<br />
<br />
<blockquote class="tr_bq">
「福音派はおかしい」とか「福音派はダメ」とか(聖霊派も含めた広義の)福音派に属する者が、反応するのは、違うだろう</blockquote>
本邦訳書の出版企画側(CRISP)の意図を正確にご理解いただき、感謝申し上げます。<br />
<br />
ミーちゃんはーちゃんは福音派と呼ばれるところの片隅<span style="font-size: x-small;">(ミーちゃんはーちゃんは福音派の外だ、と言われても甘んじて受けとめたく存じます。といいますのは、そもそも、キリスト教界の枠組みをほぼ無視する集団におりますので仕方ないとは存じております)</span>におりますので、福音派の皆様がヲワコンとか、福音派の皆様がおかしい、その聖書理解に問題がある、あるいは、本書でふれられているパイパー先生のお考えがどうのこうのとか申し上げるつもりで本書の出版を企画したわけではございません。<br />
<br />
<span style="color: red;"><b>本出版の企画意図</b></span><br />
本書の出版企画したCRISP<span style="font-size: x-small;">(というよりはミーちゃんはーちゃんが一人でしておりますものですから、実態としてはミーちゃんはーちゃん)</span>としての企画意図は、できるだけ多くの皆様が聖書の主張に立ち戻ってお考えいただけたら、ということでございます。<br />
<br />
どのようなキリスト教会様にあっても、どのキリスト者様でも、歴史的な経過の中で、あるいは人生の中で、様々なものが知らず知らずに付随してしまいます。そして、それが本来のものを本来のものとして見えなくなすることがございます。従いまして、我々が立ち戻るべきところ、つまり歴史の過程の中でさまざまなものに覆われてしまっているかもしれないものをちょっぴりだけ取り除き、再発見(Recover)したほうがよいところがあるとおもったからです。<br />
<br />
ところで、商船でも軍船でも、船は、長らく航海しますと、船底に牡蠣がらだの藤壺だのが付着いたします。すると、船体の運動能力(速力や旋回力など)が本来の設計基準(諸元)から次第に落ちてまいります。そこで、定期的にドック入りし、船底についた牡蠣がらだの藤壺などをこそげ落とし、船体を再塗装いたすため、造船所のドックでメンテナンスいたします。それと同じように、キリスト者が生き生きとした信仰を保つために、ときにドックインし、自分自身を見直す作業をしておく必要があるのではないか、と思うのです。何気なく生きていると、どうしても、この種の信仰に関するメガネというか、それを覆う膜のようなものが付随してしまう、と思うんですね。ミーちゃんはーちゃんの体験的黒歴史からいっても、そうだと思います。<br />
<br />
その意味で、この本が主張していることは、2000年この方、世界各地の様々なキリスト者集団で起きてきた信仰復興運動や宗教改革運動の一つにすぎない、と言ってしまえば、それまで。新規性は全く何もありません。これは左様に存じます。<br />
<br />
しかし、ミーちゃんはーちゃんも数十年キリスト教界の隅っこで生きてきて、いろんな方々と出会ううちに、あれ、と思うことがございました。特に若い方々とお話ししていると。<br />
<br />
時々お会いする方々が日常の教会生活の中でお聞きになり、お触れになるさまざまなこと(それは説教であったり、祈りであったり、指導・訓戒であったり、他愛のない日常会話のこともありますが)の一部によって本来の『福音』そのもの、あるいは『福音』の中にあるキリスト者としての生き方が少し見えにくくなっているかもしれない、と思われる事例に何例も出会ったからです。<br />
<br />
ミーちゃんはーちゃんが思います『福音』とは、『神とともに生きる、神の民とともに生きる中で、神を日々知り、味わっていく(J.I.Packerの「神について」原題はKnowing Godでご主張になられているように味わうこと)、その生活』がある面、『福音』ではなかろうかと愚考しております。福音とは、概念でもなく、ことばでもなく、聖書の理解の体系でもなく。<br />
<br />
ある方はこれを「宣教」と呼び、ある方はこれを「伝道」とよび、ある方は、これを「あかし」と言うラベルで呼ばれるかもしれませんが。<br />
<br />
<span style="color: red;"><b>失意の中でも、ダメ信者であっても</b></span><br />
<span style="color: red;"><b>神とともに生かされているのが『福音』</b></span><br />
見栄を張って、自分の力で頑張って、頑張って、倫理的、あるいは良心的に、あるいはお行儀よく、あるいは外見的にある基準に沿って、清く正しく美しく、そのために背伸びして生きようとして生きるだけがキリスト者の生活でもないように思うのです。<br />
<br />
むしろ、ときに神から離れることもありつつ、普通に生き生きと神とともに楽しく生きること、たとえ、病気や事故といった不幸な環境の中でも、あるいは絶望的な状況の中、失意の中でも、そしてときにヨブのように神を云々したりするような、いかにダメな自分であっても、いやむしろダメな自分だからこそ、神とともに生きているということが不自然ではなく、神のものとして神とともに生きることを自然なものとしていきてほしいと思うのです。それこそが『福音』であり、『福音』に生きる、いや、『福音』に生かされている、ということだと思ったからでございます。<br />
<br />
つまり、イエスの語ったこと、聖書が語ること、旧約聖書が語り、そして黙示録に至るまでの聖書全体が語っている、神とともに生きる生活、そして神の民と神の民の群れを形成しつつダイナミックに、神とともに生き生きとして喜んで生きることが『福音』、すなわち<b>「神とともに人が生きること」</b>なのではないか、ということを思うからです。そして、そのことは実に楽しいし、その意味で困難の中にあっても、絶望的な中にあっても、毎日がみずみずしい『福音』であると思うからなのです。<br />
<br />
<span style="color: red;"><b>地上にあるリアルな空間としての</b></span><br />
<b style="color: red;">教会</b><b style="color: red;">卒業者やお一人様クリスチャンのために</b><br />
そして、さまざまな理由から教会卒業者やお一人様クリスチャンと呼ばれる状態になっていたとしても、もし、そのような皆様方が、たとえ、地上にリアルな空間的存在や活動としての教会につながることはできなくても、リアルな教会<span style="font-size: x-small;">(建物やプログラム、教会籍や献金などを含めた諸制度、そこに集う牧会者を含めたキリスト者、また、そこで語られることば、あるいは理解としての聖書理解や『福音』と称されるもの、その他のダイナミズムを含めたもろもろが渾然一体となして生み出しているバーチャルというかスピリチュアルなものを含めての総体としての教会)</span>の一部に絶望感を覚え、失望し、そこに集うことに障害や困難を覚えていても、ある面、それができなくても、もしイエスに立ち戻り、イエスとともに生き、そして、神とともに生き、神とともに生きようとし、神に向き合うなら、それは『福音』に生きているのではないか、と思うのです。そして、神ご自身がその全人格をかけて私たちに『福音』に生きるようにお招きなのだと思います。<br />
<br />
つまり、荒野を歩くような生活をしているはぐれキリスト者、神から離れたかにみえるキリスト者、お一人様クリスチャン、教会卒業者、放浪の教会生活者であっても、背信のイスラエルを愛したもうた神は見放し給わず、共に歩こうとお招きになっておられることを確信する時、我々は、イスラエルの民の厚顔無恥を非難するのではなく、また自身のふがいなさを責めるでもなく、そこを見つめていじいじするでもなく、我らも背信のイスラエルの民の一部として、その神に立ち戻り、その神とともに生きる。その神を見つめることで今を生きるのが「福音」であり、その福音に生きることが「今、ここでも」できることを知っていただきたい(再発見していただきたい)、という思いをもって出版したいなぁ、と素朴に思ってしまったのです。思ったあとが大変ですけど。<br />
<br />
<b><span style="color: red;">ミーちゃんはーちゃんは教会も重要と思います</span></b><br />
上のようなことを書くと、「無教会派」の皆さんと混同されそうですが、ミーちゃんはーちゃんは、無教会派には属しておりません。むろん、無教会派の皆様も深く尊敬いたしております。そのお考えにミーちゃんはーちゃんは同意できない部分があるとしても。<br />
<br />
確かに、15年戦争中葉から末期、私のおりますキリスト者集団の諸先輩方のうちには、特高警察にいわゆる「無教会派」と間違われ、つけ狙われた方もおられます。何人かの諸先輩方のうちには、女性信徒を含め、治安維持法関連で取り調べを受けた方もございます。しかし、ミーちゃんはーちゃんは教会無用論者ではないと自らを省みて、そのように思います。他の方がどう思われるのはご自由ですが。<br />
<br />
リアルな信仰共同体として、この地上に形成されている「教会」の価値、とりわけ聖餐について非常に高く評価しております。それは、神の民として多くでありながら神にあって一つであることを、聖餐あるいは礼拝という形を通して、誰でもが参加することで、たとえ、講壇から語らなくても、その場に参加するだけでも、讃美歌を歌うだけでも、そして、聖書のことばを聞くことだけでも、声を発することなく福音を宣言できるのではないか、と愚考しているからでもあります。<br />
<br />
だからこそ、神とともに生きようとする人々には、できるだけ、自分以外の神の民とともに生きることにも立ち戻られることを様々な皆様方に個人的にはお勧めいたしております。<br />
<br />
次回に続きます。<br />
<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/03156714145271634992noreply@blogger.com0