筆 者はこのサイトでは「タカ牧師」のハンドル・ネームで書いていこうかと思っています。別にブログを持っていてそちらでは実名で、しかし投稿記事中は「筆 者」と言う書き方でやっているのですが、このサイトではもう少し柔らかく、アプローチャブルな感じで書くよう努力してみたいと思います。ヨロシク。
では挨拶代わりに「キング・ジーザス」と言う語感について一文。
クリでもノン・クリ(この言い方は別に好きで使っているのではなく便宜上です。)でも「イエス・キリスト」って言うと「名前・苗字」みたいに、固有名詞みたいに思っている人がまだまだ多いと思うのですが、それは違います。
イエスはもちろん歴史上の人物で、一世紀、がリラヤのナザレ出身のユダヤ人、母マリヤ、父ヨセフの子、と福音書に記されています。ですから「ナザレのイエス」と呼ばれるのが当時の習慣だったでしょう。
ところが「キリスト」は「預言者」とか「王」とかを表すタイトルで実名ではありません。旧約聖書に遡ればヘブル語で「メシヤ=油注がれた者」を意味する、神から特別に選ばれ役割を与えられた人を指す呼称です。
これが新約聖書ギリシャ語では「キリスト」と翻訳されたわけです。さらに「イエス」と一緒に使われる時、「イエス・キリスト」になったわけです。でも最初からではありません。
一 世紀当時は「メシヤ」はイスラエルを敵から解放する「王(しばしば武力的指導者)」を意味することが多かったですから、マルコの福音書に観察されるよう に、イエスは「キリスト」と呼ばれることを極力避けていた時期がありました。(例えばマルコ福音書、特には8章29-30節)
しかしイエスが弟子たちへの預言通り、十字架の死から三日後復活し、弟子たちの間で、イエスが真に「メシヤ」だと確信するに至った後は、即ち福音書以外の新約聖書では「キリスト」と言えばナザレのイエス以外にはありえなかったのです。(使徒の働き2章36節)
それ以後キリスト教会では、そしてキリスト教文明圏では、イエス・キリストは実名のように扱われるようになったわけです。
さて説明が長くなりましたが、スコット・マクナイトの「キング・ジーザス・ゴスペル」は、この「キリスト」の部分をより一世紀ユダヤの歴史的文脈での意味である「メシヤ=ユダヤ人の王」を回復しようとしているものだとタカ牧師は考えています。
スコット・マクナイト教授が「キング・ジーザス・ゴスペル」を著すに当たり大いに影響を受けていると思われる当代一の新約聖書学者であるN.T.ライトは、新約聖書全巻の個人訳である「キングダム・ニュー・テスタメント(Kingdom New Testament)」でこの「キング・ジーザス」を大いに用いています。
第一コリントの一章出だしを以下に抜粋して見ます。新共同訳で「イエス・キリスト」「キリスト・イエス」となっている箇所が「キング・ジーザス」と訳されているのに気が付いてくれるでしょう。
神の御心によって召されて「キング・ジーザス」の使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主「キング・ジーザス」の名を呼び求めているすべての人と共に、「キング・ジーザス」によって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。・・・私たちの父である神と主「キング・ジーザス」からの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
わたしは、あなたがたが「キング・ジーザス」によって恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。・・・その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主「キング・ジーザス」の現れを待ち望んでいます。主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主「キング・ジーザス」の日に、非の打ちどころのない者にしてくださいます。神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主「キング・ジーザス」との交わりに招き入れられたのです。(Ⅰコリント1:1-9)
Originally Posted 2012 Mar 01 by タカ牧師
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