忘れた頃にやって来る「キング・ジーザス・ゴスペル」ブログの更新ですね。
実は自分のブログ大和郷にある教会の他に、Facebook上のオンライン読書会、今最も注目されている新約学者、N. T. Wrightの新刊、How God Became King 読書会の進行役をやっていて、なかなかあっちもこっちも上手く同時進行できなくて申し訳ありません。
さて、今日はKJGの第5章、How Did Salvation Take Over the Gospel?に入ります。
皆さんの中で教会に通っている人に聞きたいのですが、礼拝で、集会で、使徒信条(や他の公同信条)を唱えたり(告白したり)、学んだりしていますか。
著者のマクナイト教授が育った教会では「信条?とんでもない。聖書だけで十分」と言う感じだったそうで、大人になって信条と取り組むのに大分葛藤があった、とこの章のイントロで述懐しています。
標題に「《福音の文化》が《救いの文化》に飲み込まれるまで」とつけましたが、この章では初代教会から現代までの間に、「どうしてそうなっちゃったのか」大雑把にその辿った道筋を説明しています。
で今回は①として「宗教改革」までをざっと見てみます。
前章の「使徒的福音:パウロ」で見たように、もともとの福音のコアは、Ⅰコリント15章3-5節のようなものであった、とマクナイト教授は考えています。
これがキリスト教の最初の300年位の間に「信条(信仰規範)」として発展したのだ、と言っています。
First Corinthians 15 led to the development of the Rule of Faith, andまっ名前出してもピンとこないでしょうけど、イグナチウスやイレナイオスやテルトゥリアヌス(恐竜の名前じゃないよ)の使徒教父たちの書き残したものの中に、この発展の痕跡が見える、とマクナイト教授は説明しています。
the Rule of Faith led to the Apostles' Creed and Nicene Creed.
Thus, 1 Corinthians led to the Nicene Creed.
Thus, the Nicene Creed is preeminently a gospel statement!
そして更に発展して4世紀のニカヤ信条までこのラインは達している、と見ています。
基本的にはこの《使徒的福音》が《信条》に至るラインはずーっと延長して中世まで至るのだけど、ここでこのラインを大きく変える出来事が起こった、それが宗教改革だ、と言うわけです。
宗教改革の信仰が明文化された『アウグスブルグ信仰告白』や『ジュネーブ信仰告白』『ウェストミンスター信仰告白』をⅠコリント15章3-5や信条と比較検討して見ると、そこには歴然とした強調点の変化が見て取れる、と言うのです。
それは宗教改革の信仰告白が「救いの教理」を重要な要素として大きく信条のアウトラインに組み込んでいる、と言うのです。
宗教改革で何が起こったのか?
一言で言えば、
「人は神の前にどうして義人として立てるのか?」と言う風にまとめられるかと思います。
と言うルターの実存的信仰の問いがあって、
それは、ルターがロマ書を読んで『信仰義認』の原則で解決した。
しかしそのことは「個人が救いに応答する責任」を重視することになり、
それまで信条の中核であった「福音」に「救いの教理」が取って代わり、
宗教改革の歴史的信仰告白が「救済論」的に書き換えられることになった。
では次回は「その後から現代まで」の展開をご紹介します。
Originally posted on 2012 Apr 27 by タカ牧師
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