2013年7月13日土曜日

福音の再発見のタイトルにしたわけ(2)

 前回に引き続き、このタイトルにしたわけをご説明したいと思います。


なぜ、福音の再発見というタイトルにしたか?
幻のタイトル案たち

 この本の企画段階では、お世話になった皆様方(Taka先生、訳者の中村様、キリスト新聞社の担当の方お二人、そしてミーちゃんはーちゃん)から、さまざまなタイトル案が出ました。一部をお示しすると、こんな感じです。

  • 福音ってなんだ?-教会文化の再構築に向けて
  • 「福音ってなんだ?-土台から見直す教会文化」
  • 「福音」を問い直す
  • それって「福音」?
  • ホントの『福音』ってなんだっけ?―ペテロやパウロが語りたかった『福音』―
  • 『福音』ってなんだっけ?―ペテロやパウロが語りたかった『福音』―
  • その「福音」理解、間違っていませんか?
  • 目からウロコの「福音」指南
  • 福音とは何か ーイエスと使徒たちの福音ー
  • イエスが教えた福音
  • イエスが伝えた福音
  • 福音ってなんだ?-土台から見直す教会文化
  • 福音ってなんだ?-教会文化の基礎工事
  • 『福音』の歩き方 ―ペテロやパウロの語った『福音』―
でこの中には、肝心の「福音の発見」という語が出てこない。(パクリ系のお茶らけ案は、そう、ミーちゃんはーちゃんです)

 そうなんです。それだけ、この本のタイトルには関係者一同悩みました。訳してくださった中村様、そしてミーちゃんはーちゃんに与えたインパクトを失わないようにするタイトルでありながら、本当にイエスが死を賭して語り、パウロやペテロが必死になって伝えようとした『福音』とは何か、福音の民として生きること、すなわち『福音』という生きる姿を示すようなタイトル、そして、人を小馬鹿にしたようでない(ウエメセでない)タイトルとは何か、と関係者一同で考えました。邦訳した時の読者は誰になるだろうか、ということを想定しながら。そして、座礁状態に何度もなりながら。

 そして、もう一度、ゾンダーバン社のThe King Jesus Gospel のプロモヴィデオ(これ↓)



を見たのです。(動画の中でしゃべってるオジサマが、著者のマクナイトさん)そこに、我々がRecoveryすべきものという表現がありました。Recoveryは、再生、回収、取戻し、採取、復旧、覚醒、修復、復元、戻ってくること、といった感じの語です。しかし、この動画の日本語字幕の原案をミーちゃんはーちゃんが走りタイプした時に、何の気なしに再発見と書いちゃったんですね。それをTaka牧師が見つけてくださった。拾ってくださった。

 多分、この原案を走りタイプしているときに、キリスト者は福音をどこかで絶対にちらっとでも見ているはずなのに、それに何らかの形でいろいろな事情で見失われてかけられているから、それを見つめなおし、取り戻したら、というくらいの感じで、再発見としたと思うのです。それがあっさりと採用されて、「再発見」が使われることが決まり、もともとのマクナイトが、「The King Jesus Gospel」と言っていることと、『福音』とは何か、ということを再検討することを迫る本でもあったので、「福音の再発見」となったのが、今年の2月末ごろ。もちろん、このタイトルが決まってから、以前に同名の本があったことにそれも指摘されて気づく愚かさ。ありきたりのタイトルの本というそしりは免れませんね。

 段ボールを破ったようなちょっと乱暴な表紙デザインも、本来持っていた福音が段ボール箱の中にしまいこまれているなら、箱の外側を破って取り出したら、っていう風にデザイナーの方が理解してくれたと思うんです。この辺、直接聞いてないんで、何とも言えないですが。

 上記映像の中盤辺りに引っ越しのため、箱詰めしている大学生風の若者がでてきますが、あの段ボール箱のなかにしまいこんだのが「福音」だとデザイナーの方はご理解いただいたのかもしれません。日本では、会社勤めや仕事を始めて会社や仕事場という現場に出場するうちに段ボールの箱に思い出とか、懐かしのおもちゃや本と一緒に「福音」をつめちゃうのかもしれませんが。

誰のための本か?
 『福音』に今すでに生きている人たちには、本来必要ない本のはずなんです。ミーちゃんはーちゃん個人としては、悩んでいる信徒さんに読んでほしい本なんです。特に経験がなく悩んでいる若いキリスト者の方に。

 お一人様クリスチャン、教会に生きながらも、悩み苦しんでいることを言えずに教会の片隅で息をひそめ隠棲するかのごとく生きているクリスチャン、自分はキリスト者としてふさわしくないと思っているクリスチャンたち、ローンレンジャーのように教会を離れ、一人で生きるしかないと思っている、いや思い込んでいるクリスチャンたちに読んでほしい本なんです。

 本来の生き生きとして、みずみずしい『福音』(福音の民として神とともに生きる生活)を味わってほしい、という思いでの「再発見」でもあるのです。

 従いまして、もう、『福音』を味わっている、『福音』を生きている方には、本来必要ない本なのだと思うのです。牧師先生は、『福音』に生きておられるはずだ、とミーちゃんはーちゃんは確信していたので、「この本を牧師が読むべきだ」ってG先生がお書きになられた時には、「じぇじぇじぇ」と正直驚きました。

 今でも、「イエスは好きだが教会は嫌い」って言われる自称元キリスト者、地図なく荒野や砂漠を歩いているかのようなキリスト者、苦しんでいるキリスト者、教会で砂をかんでいるような経験をしているキリスト者・・・・に、「戻るべきところは、イエスと聖書全体かもね?」ってことをきちんと示している本として、いいなぁ、と思ったのです。それをみんなでいろんな形で味わってもらったら、というのが今のミーちゃんはーちゃんにとっての『福音』です。

どうしろって言ってない本ですが
 ただ、この本には具体的方法論は書かれてない。どうしろとは言ってない本です。こうすればうまく行くってことは書いてない本です。水谷先生の最近の記事でいう、成功哲学や成功者としての教会になるための本ではありません。また、これが福音だ、ってこともあんまり言ってない。

 それはお一人お一人が考えること、ということで、マクナイトはわざと書いてないかもしれないのでは、と愚考いたしております。神とともに生きるという『福音』は、神とその人、その周辺の人々とで作り上げていくものであるがゆえに、安直にある方法(メソッド あるいは、水谷潔先生の記事でご指摘しておられるキャリアポルノ本、成功哲学というのか、成功の方法論のようなポルノグラフィー、あるいは偶像)にしないためにも、一人一人が探してね、という感じでその余白として残しているのかなぁ、と善意に解釈しております。マクナイト本人に聞いたわけでないので、確かではありませんが。

いろんな福音
 神の民として生きる人が100万人いれば、100万通りの『福音(神の民としての生き方とその結果)』があるはずだと思うのです。それを限られた方法で示してしまうことには、しょせん無理があるのだと思いますし、いちいち記載したのでは、紙幅は足らないと愚考します。

 この本の226ページの第2パラグラフにはこのことについて、以下のように書かれています。

「福音とは、イエスの救いの物語の中において完成されるイスラエルの物語であり、その物語は、この世において神の民の中で働いておられる神の業についての物語である」。福音の文化を生み出すために、この福音を自分のものとして受け止めるとは、聖書の物語を神の民についての物語として受け止めることなのである。教会を、その醜い部分も含めてすべて、神の民として受け入れるのである。福音の文化は教会の文化である。そしてそれは、人々が共に造り変えられていく教会の文化である。先に述べたような問題に、共に取り組むことで福音の文化へと変えられていく、教会の文化である。
 つまり、黙然と神の民として生きることも『福音』であり、『福音』を宣言することであり、『福音』を紡ぎだしていくことだと言うご主張だ、思うのです。その物語を紡ぎだし、宣言する側の人間あるいはキリスト者としての誤りや醜さを含めて。

息をしているだけでも福音かも
 それだけ、『福音』って手短に語れるものでなく、味わうものかも、実現しているもの、ということなのかもしれないと愚考します。誤解を恐れず言えば、「キリスト者として、神と共に息をしていること」、「キリスト者として病床でも息をしていること」、「さまざまな事情からとはいえ、教会にもいけないけれども、神を見つめようとするキリスト者としてこの地上で息をしていること」すら『福音』だとマクナイトが言っているように愚考・誤解・誤読してしまったのです。

 イエスが生きている、イエスが生きた、それを声を出して公言するか、説教するか、讃美歌を人々ともに歌うか、人にさまざまな方法で仕えるか、献身するか、痛む人、困っている人ともに生きるか、それぞれの方法は別として、それぞれの方法で、「イエスが生きていること、神が自分と共に生きていることを日々確認(再発見)できれば、それはそれでいいんじゃない?自分自身の『福音』をご自身で見つけてごらん?」という部分が再発見の意味だと愚考いたします。

 水谷先生は、先生の『福音』をすでにお持ちで、日々再発見しておられるのでは、と拝察いたしております。だからこそ、再発見がお分かりになりにくかったんだと思います。

 ただ、何人かのキリスト者とお話しするうちに、『福音』にいろんなものがかかっていて、迷っているような事例も見聞きいたしましたので、ミーちゃんはーちゃんは、そういう方に「あなたたちは持っているはずだし、どっかで見失ったのだったら、あるいは、段ボール箱に詰めちゃってどこ行ったかわかんなくなったら、それを探して、そしてそれを大事に神と共に生きてくださいね」、「一緒に毎日再発見しませうず」って言いたいだけなんですよ。


 できるだけ、一般信徒の方に分かることばで、ミーちゃんはーちゃんがこの本読みながら思った『再発見』『福音』について、お話しいたしましたつもりでございます。水谷先生、そして皆様のご期待に添えていると嬉しいのですが。

                ミーちゃんはーちゃんより

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