先日、8月25日に持たれたイベントの報告です。
イベントと言っても、関西編と同じく、いやもっと小さなイベントです。
当日は、その前の日曜日に「奨励」をしてくださったYさん、そしてYさんが誘ってくださったKさん、そしてOさんと小嶋の4人でした。
2時前に皆さん集まったので時間前に開始。
最初は自己紹介を兼ねて自分の「キリスト教」との関連みたいな話。
一巡して小嶋の番になったので、その延長で「ミニトーク」をしました。
小嶋が強調したのはマクナイトが着目したⅠコリント15章の「福音」の中でもその「出来事性」(これは関西編の時と同じ)、それが出来事の「神学的解釈」よりある意味優先順位が高い、と言うポイントでした。
少し誤解を招く言い方かもしれません。
というのも「解釈のない事実そのもの」と言うことはないわけですから。
ただⅠコリント15章の提示の仕方を見ると「伝承」の中心は出来事の「神学的解釈」ではなく、「イエス・キリストの出来事」そのものと言えるだろうと思います。
僅かにイエスの死に関しては「わたしたちの罪のために」(15:3)と付されていますが、それは新約聖書に展開されている「イエスの死」の意味の多様な解釈と比較する時、ミニマムなものだと言えると思います。
そんな話をした後で、各自の「福音の再発見」の読後感を語り合いました。
たとえばKさんだと、自分が通ってきた教会で感じることと「聖書に見る」キリスト教の間にある「齟齬のようなもの」を、マクナイトが『福音』と『救い』を区別したことによって、その「齟齬のようなもの」を少し理解できるようになった。
自分が感じている「現実の教会」とのずれがどのように生じているかが少し見えるようになった。
それだけでも買った価値があると思っている。
とか、Oさんのケースだと、中年になるまでなかなか仕事に時間を取られて「信仰」を(神学的に)吟味することがなく、いわゆる「サンデー・クリスチャン」できてしまっていたのが、中年に差し掛かったここ数年幾つかのキリスト教書に触れて、保守的な信仰をただ守るだけでない、「考える」部分があることを発見し始めた。「福音の再発見」はそれらの書物の一つだ。
この他「神の義」に関する神学談義や、「福音」を日曜日以外にも生きる、社会や世界への適用の問題、知的な信仰に偏らないため「礼拝」と言う習慣を毎日続けること(聖公会の利点)、などなど予定時間を越えて語り合うことが出来ました。
と言う訳で、「福音の再発見」発売から約1ヵ月後の、御茶ノ水CLC書店でのインストアー・トークイベントと比較すると大分こじんまりとしたものになりましたが、二つの「ファン感謝デー」イベントを終了することが出来、感謝でした。
後はこの波が少しずつでも波紋のように広がっていければいいな、と思っています。
Taka先生、 お疲れさまでございました。本当にじわじわと波が起きるといいですね。大波になるまで、育っていってくれたら、と思います。
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