2013年9月9日月曜日

発売後の反応⑩

細々と続いているような印象をお持ちの方も多いことと思います。

タカ牧師、少し夏バテでペースダウンしています。

さて「読者の反応」と言うことでまた一つ。

牧師の書斎
というブログがあります。



何やらとても「ユダヤ的視点から聖書を読み取る」ことに関心の深い牧師さんのようです。
「イエス」と呼ばず、「イェシュア」と表記しています。

ちょっとおっかない感じもしましたが「福音の再発見」が紹介されていますので、記事にしてみようかと。
(※「福音の再発見」の簡単な紹介ではないので、そこのところよくご理解ください。)

以下のような流れで紹介されています。
(4) イェシュアの語った福音
  • 「イエスの福音」ということばを聞いて、このことばに驚かれるクリスチャンもいれば、ほとんど抵抗を感じな い方もおられるのではないかと思います。このことばは、実は、これまでのキリスト教会の福音の理解を再検証する含みで言われていることばなのです。つまり 「十字架の福音」と言うだけでは、「イエスが語ろうとした福音」には届いていないという警鐘的標語なのです。※脚注
  • ※脚注
    画像の説明
    2013.5に、スコット・マクナイト師の「福音の再発見」という本がキリスト新聞社から翻訳出版されまし た。現在用いられている「福音」という言葉は、イエスや使徒たちが意味していた本来の福音をもはや指すものではなくなってしまったと警鐘をならして、イエ スの語った「福音」に焦点を当てています。彼によれば、「福音とはイスラエルの物語を完成させるイエスの救いの物語であり、イエスは明らかに、イスラエル を救う神のご計画の中心に自分を据えていた。」と述べています。別の表現をするならば、「福音とは、イスラエルのメシアであり、すべてのものの主であり、 ダビデの裔(すえ)である救い主イエスの、その救いの物語によって完結するイスラエルの物語である」としています。アーメンです。
と言うことで、「福音の再発見」に限って言えば、仰っておられることは大体そうだと言えるのですが、このページ全体の文脈に広げて見ますと、「イスラエルの回復」とか、「置換神学」、とか幾つか特定の「神学的伝統」の解釈の問題を引きずっている印象があります。

もちろん誰もが一定の神学的伝統(自覚的にか、無自覚的にか)に負いながら「聖書」を解釈しているわけですから、そのこと自体を問題視するだけでは・・・と思います。

ただ別な方から入ってきている「読者の反応」を聞いていますと、やや「我田引水」的に、「福音の再発見」の命題を、それら「特定の神学的伝統による解釈」に入れ込もうとしたり、あるいは「聖書解釈研究に熱心な方」が「福音の再発見」からヒントを得て、「ご自分の聖書解釈法」を補強しようとなさったりする傾向があるようです。

もちろんこれは程度問題であり、少し熱心な方は、誰でもそのような取り組みはしていると思います。
要はそれが他者の批評にどれだけ耐えうるか、やはり「レフェリー」は必要に思います。

願わくはこのブログもほんの幾分でも、そんな役割が果たせれば良いのですが・・・。

まっタカ牧師では力不足ですから、余りそんなこと言わない方がよろしいかもしれませんね。

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