2014年3月5日水曜日

発売後の反応⑪

久し振りの「発売後の反応」シリーズでのアップです。

一応記事のアップが2013年8月ですから、まだ発売後3ヶ月のものですね。
先ずちょっと投稿記事からの抜粋です。
自分達こそ聖書的だと自負している21世紀の福音主義者や根本主義者に対する、痛いほどに的を得た内容です。

伝道集会で「決心」した人が次の週に教会に来ない理由は・・・ キャンプで「イエス様を心にお迎えするお祈り」をした子供達のほとんどが教会から消えていく理由は・・・ 私達にとって、そして教会の将来と次世代育成にとって非常に大切な議論です。

やや難しい内容ですが、中村佐知さんのとても読みやすい邦訳です。 
ブログ主は、滝山聖書バプテスト教会牧師、片村 襟舎(エリシャ)さんです。

さてまた少し「反応」を探して見ます。
まだ見つかるかな・・・。

2014年2月18日火曜日

紹介・書評サイト

お久し振りです。タカ牧師です。

大分間が開いてしまいました。

2013年5月に出版されてからまだ1年も経っていないのですが、何かかなり時間が経ったように感じます。

さて今回は小さな報告、と言うか紹介・案内です。

先ずは、「福音の再発見」が北米ロスアンジェルスにあるクリスチャン・ブックセンターと言う本屋さんの「2013年おすすめ書籍」に選ばれました。(リンク)

それから、あめんどう出版社の小渕さんによる書評が「本のひろば」2013年12月号pdfに掲載されました。
ネットでも読めますのでご一読ください。

世界福音伝道会の「牧羊会」と言うところで紹介されました。(リンク)

それではまた。

2013年11月10日日曜日

『福音』とは

お久し振りです。タカ牧師です。

長ーーい間、更新がありませんでした。
失礼しました。

今年5月に発売されてから2ヶ月くらいは「反応」が結構ありました。
その後8月くらいまではちらほら「反応」がありました。

「さすがに」、と言うか、「残念ながら」、と言うか、段々ネット上の反応は少なくなってきたようです。
それで「ネタ探し」も尽きてきたかなー・・・、と思っておりました。

ブログスフィアーでは最早更新のなくなったブログを「ゾンビー」などとおぞましい言葉を使って呼んでおります。

このブログサイトも、まだそこまでは行きませんが、気をつけないと・・・。

それで適当に足跡だけは付けておこうと思いました。

今日の御題は『福音』とは。

まっこのブログサイトは、スコット・マクナイトの「福音の再発見」ファンサイトでもありますから、適当ではないかと思います。

さて「福音とは」や「福音とは何か」でググって見ますと、案外と言うか、何と言うか、辞典系サイトの説明が割合、学術的に、歴史的に、原語的に参考になるものを結構含んでいるように思う。
元来はギリシア語euangelionで語義は〈よい知らせ〉。古典ギリシア文献では,たとえば戦勝の知らせを指して用いられる。ローマ時代には,皇帝を神的存在とみなし(皇帝礼拝),その即位等の知らせを〈よい知らせ〉と呼ぶことが行われた。旧約聖書では,この語に対応するヘブライ語名詞の用例には見るべきものがないが,同じ語根の動詞から出た〈喜びの使者〉の,とくに《イザヤ書》52章7節(前6世紀後半)での用例は,新約聖書の〈福音〉との関連で注目を要する。(「世界大百科事典 第2版の解説」)

1 喜びを伝える知らせ。よい便り。「―をもたらす」
2 イエス=キリストによってもたらされた人類の救いと神の国に関する喜ばしい知らせ。また、福音書にしるされているキリストの生涯と教え。(「デジタル大辞泉の解説」・・・以上2件のリンク先)

これと比較すると、キリスト教関係者(牧師や、ちょっと知っていそうな信徒の方)の説明は、マクナイトの言う「救い派」丸出しのような内容になりやすい・・・と言う印象を受けます。

マクナイトが案じたように福音を殆んど自明のこととしているために、「神・罪・救い」のメッセージが既に「雛形・下敷き」となっていて、その枠組みで説明してしまおうとする傾向がある。

マクナイトが新約聖書の福音理解のスタートラインとした、第一コリント15章や、(マクナイトは重用しなかったが)ローマ書1章2-4節、『御子の福音』が指示しているように、「十字架の死と復活」と言うイエス・キリストの出来事それ自体が前面に出てくる把握とはやはり隔たりがある。(「補記(1)」参照)

また「福音」と「福音書」がどう言う関係にあるか、と言う問題に対する気付きもまだ余り見当たらないようだ。
(※欧米での一般的理解は、福音はパウロ的「福音」理解、即ち『信仰義認』に還元される傾向があり、福音書は「福音」の本質理解には余り重用されず、「背景となるストーリー」程度に受け止められる傾向がある。「補記(2)」参照)

と言うことで、余り足しにもならないようなことかもしれませんが、間隙を埋めるためのポスト、と言うことでご容赦ください。

ではまた。

補記(1)
福音の「出来事性」の側面の重要性を掴んでいる解説としては、これは参考になるかもしれない。
しかし「十字架」偏重で「復活」が欠落している、とみなされても仕方ないだろう。

補記(2)
福音を日本人にも受容されるように、と言う主張は分かるが、この福音理解の枠組みは「信仰義認」であることに変わりがない、と言えるだろう。

2013年9月9日月曜日

発売後の反応⑩

細々と続いているような印象をお持ちの方も多いことと思います。

タカ牧師、少し夏バテでペースダウンしています。

さて「読者の反応」と言うことでまた一つ。

牧師の書斎
というブログがあります。



何やらとても「ユダヤ的視点から聖書を読み取る」ことに関心の深い牧師さんのようです。
「イエス」と呼ばず、「イェシュア」と表記しています。

ちょっとおっかない感じもしましたが「福音の再発見」が紹介されていますので、記事にしてみようかと。
(※「福音の再発見」の簡単な紹介ではないので、そこのところよくご理解ください。)

以下のような流れで紹介されています。
(4) イェシュアの語った福音
  • 「イエスの福音」ということばを聞いて、このことばに驚かれるクリスチャンもいれば、ほとんど抵抗を感じな い方もおられるのではないかと思います。このことばは、実は、これまでのキリスト教会の福音の理解を再検証する含みで言われていることばなのです。つまり 「十字架の福音」と言うだけでは、「イエスが語ろうとした福音」には届いていないという警鐘的標語なのです。※脚注
  • ※脚注
    画像の説明
    2013.5に、スコット・マクナイト師の「福音の再発見」という本がキリスト新聞社から翻訳出版されまし た。現在用いられている「福音」という言葉は、イエスや使徒たちが意味していた本来の福音をもはや指すものではなくなってしまったと警鐘をならして、イエ スの語った「福音」に焦点を当てています。彼によれば、「福音とはイスラエルの物語を完成させるイエスの救いの物語であり、イエスは明らかに、イスラエル を救う神のご計画の中心に自分を据えていた。」と述べています。別の表現をするならば、「福音とは、イスラエルのメシアであり、すべてのものの主であり、 ダビデの裔(すえ)である救い主イエスの、その救いの物語によって完結するイスラエルの物語である」としています。アーメンです。
と言うことで、「福音の再発見」に限って言えば、仰っておられることは大体そうだと言えるのですが、このページ全体の文脈に広げて見ますと、「イスラエルの回復」とか、「置換神学」、とか幾つか特定の「神学的伝統」の解釈の問題を引きずっている印象があります。

もちろん誰もが一定の神学的伝統(自覚的にか、無自覚的にか)に負いながら「聖書」を解釈しているわけですから、そのこと自体を問題視するだけでは・・・と思います。

ただ別な方から入ってきている「読者の反応」を聞いていますと、やや「我田引水」的に、「福音の再発見」の命題を、それら「特定の神学的伝統による解釈」に入れ込もうとしたり、あるいは「聖書解釈研究に熱心な方」が「福音の再発見」からヒントを得て、「ご自分の聖書解釈法」を補強しようとなさったりする傾向があるようです。

もちろんこれは程度問題であり、少し熱心な方は、誰でもそのような取り組みはしていると思います。
要はそれが他者の批評にどれだけ耐えうるか、やはり「レフェリー」は必要に思います。

願わくはこのブログもほんの幾分でも、そんな役割が果たせれば良いのですが・・・。

まっタカ牧師では力不足ですから、余りそんなこと言わない方がよろしいかもしれませんね。

いのフェスに出店いたします。

さて、いのフェスもいよいよ今週末。
いよいよ盛り上がってまいりました。(一部だけという噂はございますが…)

今回のいのフェス、力が入っとりますなぁ。なにせ、「晴佐久神父様×宮台先生」ですし。

出店者数も過去最高ではないかと。

場所は、早稲田奉仕園 スコットホールです。
このファングループも、『福音の再発見』を応援する勝手連』として出店いたし、国内メンバーの全員も、当日会場にGo!である。A-9のブースで、「福音の再発見」と「わが故郷、天にあらず」の特価販売(市販価格より少しおやすめ、部数は限定各30部程度)およびNTライトセミナーの情報提供をいたします。

 本ブログのメインライターのTaka先生もお出ましくださるご予定。

 Aー9のブースが分からなくても、福音の再発見の画像がかかったブースが目印です。

いのフェスでお会いしましょう。

2013年8月27日火曜日

「福音の再発見」ファン感謝デー・東京編 ご報告

先日、8月25日に持たれたイベントの報告です。

イベントと言っても、関西編と同じく、いやもっと小さなイベントです。

当日は、その前の日曜日に「奨励」をしてくださったYさん、そしてYさんが誘ってくださったKさん、そしてOさんと小嶋の4人でした。

2時前に皆さん集まったので時間前に開始。

最初は自己紹介を兼ねて自分の「キリスト教」との関連みたいな話。
一巡して小嶋の番になったので、その延長で「ミニトーク」をしました。

小嶋が強調したのはマクナイトが着目したⅠコリント15章の「福音」の中でもその「出来事性」(これは関西編の時と同じ)、それが出来事の「神学的解釈」よりある意味優先順位が高い、と言うポイントでした。

少し誤解を招く言い方かもしれません。

というのも「解釈のない事実そのもの」と言うことはないわけですから。
ただⅠコリント15章の提示の仕方を見ると「伝承」の中心は出来事の「神学的解釈」ではなく、「イエス・キリストの出来事」そのものと言えるだろうと思います。

僅かにイエスの死に関しては「わたしたちの罪のために」(15:3)と付されていますが、それは新約聖書に展開されている「イエスの死」の意味の多様な解釈と比較する時、ミニマムなものだと言えると思います。

そんな話をした後で、各自の「福音の再発見」の読後感を語り合いました。

たとえばKさんだと、自分が通ってきた教会で感じることと「聖書に見る」キリスト教の間にある「齟齬のようなもの」を、マクナイトが『福音』と『救い』を区別したことによって、その「齟齬のようなもの」を少し理解できるようになった。

自分が感じている「現実の教会」とのずれがどのように生じているかが少し見えるようになった。
それだけでも買った価値があると思っている。

とか、Oさんのケースだと、中年になるまでなかなか仕事に時間を取られて「信仰」を(神学的に)吟味することがなく、いわゆる「サンデー・クリスチャン」できてしまっていたのが、中年に差し掛かったここ数年幾つかのキリスト教書に触れて、保守的な信仰をただ守るだけでない、「考える」部分があることを発見し始めた。「福音の再発見」はそれらの書物の一つだ。

この他「神の義」に関する神学談義や、「福音」を日曜日以外にも生きる、社会や世界への適用の問題、知的な信仰に偏らないため「礼拝」と言う習慣を毎日続けること(聖公会の利点)、などなど予定時間を越えて語り合うことが出来ました。

と言う訳で、「福音の再発見」発売から約1ヵ月後の、御茶ノ水CLC書店でのインストアー・トークイベントと比較すると大分こじんまりとしたものになりましたが、二つの「ファン感謝デー」イベントを終了することが出来、感謝でした。

後はこの波が少しずつでも波紋のように広がっていければいいな、と思っています。


2013年8月20日火曜日

発売後の反応⑨

本の方の売れ行きは「一落ち着き」しているようです。

しかしブログの方にはちらほら「読者の反応」が続いて出てきているようなので、嬉しい感じです。

今回見つけたのは「長田家の神戸便り」というブログ。
神戸にあります日本イエス・キリスト教団事務局で働きをしています。
と言う方。失礼ながら名前が出ていないので「長田」さんと呼んでおくことにいたします。

ななんと、マクナイト『福音の再発見』について連載しているのですね。
「1971」という序文がついています。この序文タイトルは、著者17歳、信仰を持ったばかりの時期に経験したエピソードが1971年の出来事だったとこ ろからつけられたものです。これは、教会の執事による訪問伝道に一緒についていった体験で、福音に何の関心も持たない男性が、余りに熱心な「伝道」によ り、とりあえず「キリストを受け入れる決心をした」というものです。「伝道とは何か」「福音を伝えるということはどういうことなのか」という著者の問題意 識の始まりとなった出来事です。
これはシリーズ「その①序文」からの引用。

現在、その⑨:第8章後半まで進んでいます。

すごいですね。

注意深く読み進めていますね。

「ナルホド」と「どうかな?」と言うカテゴリーを用意して内容にかなり詳細な検討を加えています。

率直な論考が重ねられていますから、他の読者の方々も参考になさると良いと思います。

タカ牧師ももう少しちゃんと読んだら、気がついたことを書いてみようかと思います。

という訳で簡単にご紹介まで。